みゅぜぶらん八女の蔵書⑨
蔵書No.71
(編著者)吉見俊哉 編著
(書名)1930年代のメディアと身体(青弓社ライブラリー23)
(総ページ数)255頁
(書籍の大きさ)18.9cm(縦)×12.9cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2002年
(解説)
『1930年代のメディアと身体』という『この本』のタイトルに惹かれる方も多いだろう。私もそのひとりである。最初に手に取った時、そのタイトルと中身のギャップが気にかかった。そうなると、私の場合、「ギャップと感じた」自分の心の中が気にかかり、「読み方が不十分なのではないか」等となってしまう。『この本』の場合、6章、7章というような、後ろの方から読み始めると、本書の意図している『1930年代のメディアと身体』とは、「あー、そういうコトなのか」となってくる(多分)。編著者・執筆者の意図したことを感じながら読んでいただきたい。
蔵書No.72
(著者)田中聡
(書名)健康法と癒しの社会史(復刊選書6)
(総ページ数)258頁
(書籍の大きさ)18.9cm(縦)×12.9cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2006年
(解説)
社会保障を歴史的に理解するために『官報』や『新聞』を利用することも多かった。ある日、大学院生たちと1940年頃の新聞を読みながら、「何か質問は ?」と言った途端、一人の留学生がニコニコしながら手を挙げて、「いいですか ?」といった。彼は、新聞に掲載された医薬品の広告を指さしながら「先生。なぜ、このような顔をしているのですか ?」と尋ねてきた。とりあえずの主題とは異なる「いい質問」である。ソレについては、私も「面白い広告方法だ」とは感じていたが、「なぜ ?」とまでは思っていなかった。私たちが感じる「そのような気持ち」に対して、『この本』は、随所で、「そういうコトなのか・・・」という様々なヒントを提示してくれる。
蔵書No.73
(著者)藤井忠俊
(書名)在郷軍人会—-良兵良民から赤紙・玉砕へ--
(総ページ数)344頁
(書籍の大きさ)19.4cm(縦)×13.8cm(横)
(発行所)岩波書店
(発行年)2009年
(解説)
『この本』では、せめぎ合う「軍事的価値観」と「民衆的価値観」の間で、組織としての「在郷軍人会」が揺れる姿が丁寧に描かれる。ソノせめぎ合いは、1945年6月の「義勇兵役法」において、具体的なモノとして「微妙なモノとして」結実する。少しハードであるが、読んでみると、今(2021年)の、新型コロナ禍での議論構造、政策的対応、国民の心性と重なってくる。
蔵書No.74
(著者)高岡裕之
(書名)総力戦体制と「福祉国家」--戦時期日本の「社会改革」構想--
(総ページ数)306頁(索引を除く)
(書籍の大きさ)19.4cm(縦)×13.8cm(横)
(発行所)岩波書店
(発行年)2011年
(解説)
大学院生だったころから、「戦時は、平時よりも心身のコトを気にかけてくれる時代である」と感じてきた。ところが、「社会保障法」を研究していると、そのような感覚はご法度で、「社会保障法」の生成は戦後民主主義と結合させなければならない(とされた)。これには、もちろん、反発していた。そのような、かつてのワタシの感覚を、少しだけ支えてくれるのが『この本』である。このようなコトに関心がない場合は、「だからソレがどうした」となりそうなテーマであるか、(ワタシにとっては)具体的で読みやすい(と思われる)一冊である。
蔵書No.75
(編著者)川越修・鈴木晃仁 編著
(書名)分別される生命—-20世紀社会の医療戦略--
(総ページ数)332頁
(書籍の大きさ)19.5cm(縦)×13.8cm(横)
(発行所)法政大学出版局
(発行年)2008年
(解説)
『この本』が出版されたのは2008年である。ところが、蔵書No.85として紹介するために(2021年段階で)、パラパラをめくってみると、論考は極めて具体的でありながらも、普遍的で、とても面白い。たとえば、第1章にある美馬達哉氏の「リスクパニックの21世紀--^新型インフルエンザを読み解く--」は、コロナ禍の今(2021年段階)でも、読み込ませる論考である。そして、第8章にある柿本昭人氏の「誰が「生きている」のか--痴呆・認知症・心身喪失--」は、巻末で、「もういちど-—フーコーから」として論じている。
蔵書No.76
(著者)グレッグ・ポグナー/イワオ・ヒロセ(児玉聡 監訳)
(書名)誰の健康が優先されるのか—-医療資源の倫理学--
(総ページ数)293頁(用語集・参考文献を除く)
(書籍の大きさ)19.4cm(縦)×13.8cm(横)
(発行所)岩波書店
(発行年)2017年
(解説)
邦訳された『この本』の原著は、Greg Bognar/Iwao Hirose“The Ethics of Health Care Rationing”である。訳本の「帯」にあるように、「住民が100人、予防接種が80人分しかない時、・・・」「あなたならどうしますか ?」というような設定で、哲学的思考のレッスンが繰り返される。2021年、コロナ禍での、療養の在り方、医療資源の配分、ワクチン接種を巡る右往左往等など、それらを対象として読み解くのにもヒントをくれる。
蔵書No.77
(編著者)法政大学大原社会問題研究所 編/梅田俊英 著
(書名)ポスターの社会史--大原社研コレクション--
(総ページ数)129頁
(書籍の大きさ)21cm(縦)×15cm(横)
(発行所)ひつじ書房
(発行年)2001年
(解説)
『この本』は、大きくいえば2部から構成されている。テーマ別にポスターを提示した「プロパガンダする紙片」(第Ⅰ部)、そして、項目を設けて時代的に解説した「ポスターの社会史」(第2部)から構成されている(CD ROMの付録がついている)。比べるコトは良くないと分かっていても、「(第Ⅰ部)と(第2部)、どちらが面白いですか ?」なんて尋ねたくなる。尋ねたくなるくらい、両方とも面白いのである。(第Ⅰ部)の62頁には、「伝染病予防のポスター」が掲載されている。そこには「マスク」・「ウガヒ」がある。
蔵書No.78
(著者)早川タダノリ
(書名)「愛国」の技法--神国日本の愛のかたち--
(総ページ数)145頁
(書籍の大きさ)21cm(縦)×15cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2014年
(解説)
『この本』は、「絵」、「ポスター」、「写真」などなどを多数使用して、『「愛国」の技法(というもの)』を描いている。「絵」、「ポスター」、「写真」などなどの「一つ一つ」がイデオロギー的にどうだ・・・というコトではなく、上手く、全体で一つのモノとなっている。『「愛国」の技法(というもの)』を「絵」、「ポスター」、「写真」で感じるか、それとも、書かれた文章で補強するかは、読者次第であるが、多分、「真剣に見ているあなた」と「楽しんでみているあなた」が同時にいる、ということになるであろう。直接関係していないのに、『この本』を読んでいる(見ている)と、「新型コロナ」、「自粛」、「オリンピック」、「マスク」を感じてしまうのは、私だけであろうか。
蔵書No.79
(著者)早川タダノリ
(書名)「日本スゴイ」のディストピア—-戦時下自画自賛の系譜—-
(総ページ数)195頁
(書籍の大きさ)21cm(縦)×15cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2016年
(解説)
蔵書No.78と同じく、『この本』も早川タダノリ著である。主に、戦時体制下の著書や雑誌を取り上げ、ソコに見られる「日本がすごいという自画自賛的姿」を描いている。「絵」、「ポスター」、「写真」は、蔵書No.78ほどの量ではないものの、各項目の「見出し」や「柱建て」、そして「解説」に、著者の意図がはっきりと表れている。
蔵書No.80
(著者)小松弘
(書名)「いのち」と帝国日本(日本の歴史十四)—-明治時代中期から1920年代--
(総ページ数)366頁
(書籍の大きさ)21.5cm(縦)×15.5cm(横)
(発行所)小学館
(発行年)2009年
(解説)
どういう訳か、『この本』は何度も呼んだ。しかも、読んだのは、2009年から2010年までのパリで・・・である。パリでの住居のとなりは大きなスーパーであった。雨が降っても傘なしで買い物ができた。だからといって、外に出ることをおっくうがると、すぐに、精神的にやられてしまう。だから、パリでの毎日は、まるで機械のように動いていた。留学生や友人が訪ねてきたら市内歩きとカフェ・ビストロ。家族が来たら観光散歩と買い物や食事。相手をしてくれる人が誰もいないときでも、一人で散歩、買い物、そして、自炊。そのような中で、アイデンティティーを保ちながら、のんびりと読めそうな本を数冊、パリまで持っていった(パリの書店で買うと値段が高すぎるので)。『この本』は、文体も優しく、写真等も多く、苦痛にならない読みやすいモノということで選ばれた一冊である。
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