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弥次喜多が帰ってくる 1

本来、29日が千穐楽だった歌舞伎座。なんと第三部「風の谷のナウシカ」が疑似生配信を行うことになりました。できれば一部もお願いしたかったくらいですが。。嬉しいことです。もともと三部は千穐楽生配信を予定していました。開演時間と同時刻からノーカットで上演どおりに配信するそうなので叶う方は是非。私は仕事がかぶっているし、生で観ることが叶いましたのでそれを思い出にしたいと思います。


さて、それが終了するといよいよ八月納涼歌舞伎の足音が聞こえてきます。5日が初日。第三部に幸四郎さん猿之助さんの弥次喜多がかかります!

「東海道中膝栗毛 弥次喜多流離譚(やじきたリターンズ) 」

二人の弥次喜多はシリーズ化され、2016年から4年間に渡り上演。4年目はこれがラストと言って臨んだ作品でした。

こんなご時世になり、時々沸き上がるのです。あの時、客席でこれでもかと笑って泣いた日々が。笑いたいな。。そう思っていたところに一昨年の歌舞伎座休演中に作られた「図夢歌舞伎 弥次喜多」映像作品として甦り、これには歓喜でした。そして、この夏いよいよ二人が歌舞伎座に帰ってきます!

ちなみに、戦後、初めて歌舞伎公演を行ったのは猿之助一座でした。1945年9月、歌舞伎座が焼失していたため東劇で。二代目猿之助と八代目中車の弥次喜多でした。劇場は超満員だったそうです。

自分たちができることで人々の役に立ちたい。これは妄想ですが、そんな気持ちだったのではないでしょうか。そして、それは四代目にも受け継がれていると思うのです。猿之助さんはいつも’働くのは生活のため’と言います。それも事実ですけど(笑)、人々を元気にしたいと思ってくれていると信じています。

来月、生の弥次喜多を初めてご覧になる方も多いと思います。私の記憶は曖昧で美化されているに違いないのですが、日記をもとに一作目から思い出のシーンを少しだけ振り返ってみます。


2016年、8月恒例の納涼歌舞伎に猿之助さんが出演する!まずこれに驚きでした。納涼と言えば中村屋、大和屋、成駒屋。。みたいな。私が出会った亀治郎時代は8月と言えば自主公演「亀治郎の会」で、2012年の襲名yearを機に休み月になるのかと勝手に思っていました。←本人も来年から休める!と言っていた気もする。現実は他の方の自主公演やらで働いていました。

それが、勘三郎さん三津五郎さんが鬼籍に入り、猿之助さんにガッツリ働く8月がやってきました。しかも幸四郎さんとの「弥次喜多」。十返舎一九が書いた東海道中膝栗毛は、昭和3年、初世猿翁(二代目猿之助)と六世友右衛門により初演。流行を取り入れ、時代を風刺した内容で大評判になったそう。その後、弥次喜多の旅は脚本や演出を変えて上演され、新たに猿之助さん演出で誕生しました。

外題の横に「奇想天外!お伊勢参りなのにラスベガス!?」とあり、弥次さん喜多さんが江戸から、ラスベガス経由でお伊勢参りの旅するお話。

これは前年に幸四郎さんがラスベガスで初めて歌舞伎公演を行ったことを取り入れちゃってます。ラスベガスシーンの劇中劇の外題もまんま(笑)SHI-SHI-O!

当時は染五郎時代です。直筆サイン入り。

たぶん初日開けてだいぶ経った頃から花道で手作りチラシを数枚配り始め、運よくゲットした幸四郎(当時は染五郎)バージョン。なんと直筆サイン入り!猿之助さんのものは友人がゲットしてました。

で、チラシにもあるように毛振りがある。それも猿之助さんと二人で!あくまでも弥次さん喜多さんがする設定なので、ほぼ素顔に獅子の頭でビジュアルは笑えるのですが、二人での毛振りはかっこいい!まず本興行では叶わないので大興奮でした。さらにベラージオの噴水に見立てた本水も二人で入ってくれました。

ラスベガスシーンは獅童さんの劇場支配人 出飛人←デビットも面白かった。アドリブ満載ハチャメチャなキャラで、時々、猿之助さん方も素で笑っていました。

ワンピースパロディもあり、ニューカマーの皆さんも登場。歌舞伎座でやっていいのか!?と観ているこちらがドキドキでした(笑)

話が前後しますが、冒頭はドリフコントのパロディが盛りだくさんでした。歌舞伎座で本気のコントを観る日が来るなんて想像を超えていました。幕開きの吉野山コントで猿之助さん幸四郎さんはまさかの黒子でしたから。

ドリフファンの二人がリスペクトを尽くして本気でコント。私たちが「8時だよ!全員集合」で観た志村けんさん加藤茶さんを彷彿とさせる芝居に、ここは本当に歌舞伎座か?いいのか?と大笑いでした。

まあ、二人がやりたかったのでしょうねぇ(笑)

金太郎くん(現 染五郎)團子くんの出番が多く、弥次喜多と旅をともにします。唯一歌舞伎風に頑張ってました。立廻りも二人が頑張ってた。そして、笑也さんの天照大神にぶっ飛びました。以来、笑也さんと言えば天照大神になりました。

宙乗りは弥次喜多が花火のように打ち上げられる設定。これは、十返舎一九の逸話からでは?という話を聞きました。調べると一九は遺言でこう言っていたそう。「自分が死んだら着物は変えずそのまま火葬にしてほしい」その通りにすると、棺から花火が上がり、まわりを驚かせた。一九は、花火を内緒で仕込んでいた、と。

逸話なので真か嘘かはわかりません、ここからの発想なのかも真実はわかりません。でも、夏と言えば花火、花火で一九と言えば。。となったのかも。

「また、お会いいたしましょう!」

ラストのこの言葉も定番になりました。猿之助さんはいつも’希望’で結んでくれます。笑って笑って幸せでした。お客が皆で笑顔でした。

こうして始まった弥次喜多の旅。翌年は二人が謎解き、ミステリーに挑戦したのです。

続く。


aya


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