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浅草歌舞伎の思い出
体調不良から復帰の仕事は疲れました。でも仲間が大好きなので心は元気になりました。皆のおしゃべりを聞くのが好きです。賑やかな職場で救われています。たくさん笑いました。
週末の観劇に備えて体調を整えることに専念しています。いろいろ観たいけど我慢。今日はやっと姪にお年玉を渡すことができました。
受験生の彼女の顔付きが変わっていてびっくり。とても緊張感ある凛々しい表情でした。別れ際にハグをしました。私から頑張れとは言えず。。そうしたら「頑張ってくるね」と。
彼女の生まれた時を思い出して私が泣いてしまった。優しい子になってくれて感動しました。もう本当に伯母バカ(笑)生まれてきてくれてありがとう。
さて、私が1月恒例の新春浅草歌舞伎を初めて観たのは、姪が小さい頃でした。2009年1月、猿之助さんが亀治郎時代、勘九郎さんが勘太郎時代です。
今年からメンバーがほぼ一新した浅草歌舞伎は、当時も若手の登竜門として開催されていました。私が観始めた時は下記のチラシのメンバーがメインでした。
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亀治郎さんたちが出演し始めた頃、お客が入らなかったと聞きました。どうしたら集客できるかを考え、浅草の町と一体になり必死になって盛り上げたとインタビューなどで話していたのを覚えています。
若手が本興行では演じることはないお役にチャレンジできるのが浅草歌舞伎の素晴らしいところです。歌舞伎座よりもチケット代を下げ、歌舞伎を観たことがない方にも気軽に来てほしいという想いが込められています。
第二部の終演時間が早いのは、その後に浅草の町を少しでも楽しんでほしいという想いからです。浅草は閉店時間が割と早いから。
猿之助さんは口上でいつも言っていました。浅草の町の人たちの協力のお陰。。と。
その心意気に惚れて毎年観に行っていた浅草歌舞伎。猿之助さんの思い出をお話します。
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