見出し画像

届かないものと失くしたものは、「わたし」になったのだと気づいた

「わたし」を形づくるものは、なんだろう。
たとえば好きな映画、詩、海の風景、木漏れ日。
毎日の暮らし、柔軟剤の匂い、仕事、恋人との時間。
音楽が好きで、言葉が好きで、ひとが好きで、ひとりが好き。
そういうもので、今のわたしはできていると思う。

でも、いま持っているものだけが、わたしなのだろうか。

失ったものだけが積み木みたいに重なって
崩れないようにすることで精一杯だ

「アヤメ」石崎ひゅーい

失くしたものはもう心の一部でしょ

「キレイな人(Find Love)」宇多田ヒカル

わたしの初恋は、わたしの日常になりました。
例えば長めで急めな階段を降りる時。例えば切手なんかを真っ直ぐ貼らなきゃいけない時。例えば夜寝る前、最後の灯りを消す時。日常のそんな時、玉埜くんと繋いだ手を感じているのです。あの日バスに乗った時も君の手を感じていました。支えのようにして。お守りのようにして。君がいてもいなくても、日常の中でいつも君が好きでした。

「往復書簡 初恋と不倫:不帰の初恋、海老名SA /カラシニコフ不倫海峡」坂元裕二

結局手に入らなかったもの、もう二度と会えないひと、今ここにないものがわたしにはたくさんある。
叶っていない夢の過程ばかりを他人に語ってきた。もうずっと何年も、誰も座らなくなった寂れた椅子を心の奥深くに置き去りにしていた。
そういう記憶は今でもまだすこし苦い味がして、だけど昔よりずっと優しい。今でも執着しているとかそういうのともちょっとちがうのだけれど、ゆっくりと時間をかけて「わたし」に馴染んで、他の何かに向き合っているときでも、思考の流れのなかにいつでもある。
そして、諦めたから、考えた。
届かないから、努力した。
傷つけたから、傷ついたから、自分を知った。
そうやって少しずつ、わたしはわたしになっていった。
そういう自分で、生きてきたぜんぶで、わたしは歌を歌っている。

そんな思いを歌にして、自分の単独コンサートの一番最後に披露した。
寂しい歌かもしれないと思っていたけれど、コンサートでピアニストがとてもやさしい歌として弾いてくれたこと、そして夢にむかって努力している同期や知人が涙してくれたことが嬉しかった。

「歌をうたうことは」  作詞作曲 中矢 風夏

「いつか世界で歌いたい」
小さなあの子のきらきらは
のどに残る苦い粉薬
まだここにいて 溶けない

音楽がわたしに飽きてゆく
悪夢に何度も目が醒めた
まっしろな頭 響かない音
まだここにいて お願い

あの日 舞台から見た
奇跡みたいな光が
心をとらえて離さない

ぜんぶ歌にして わたしはここにいる
憧れも渇きも流れている
届かないものは わたしをつくる
海岸も映画も声のなかに
夢をみること 歌はここにある

「いつか誰かを愛したい」
小さなあの子のきらきらは
図書室の隅の綿ぼこり
まだそこにいて 消えない

今日も 暮らしはつづく
カーテン越しの光が
心を揺らして 慰める

ぜんぶ歌にして わたしはここにいる
まなざしも指の熱も憶えている
失くしたものは わたしをつくる
慟哭も約束も息のなかに
もう会えないひと 歌はここに

ぜんぶ歌にして わたしはここにいる
絶望も優しさも目を逸らさない
出会いのすべてが わたしをつくる
血の味も木漏れ日も言葉のなかに
生きていること 歌はここにある


思い出を抱えて、「それから」の空白の日々を生きているひとに。
挫折のさなかにいるひとに。
それでも生きていくことを、受け入れきれないひとに。
聴いてもらえたら嬉しいです。

#私の作品紹介

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?