「憂鬱でなければ、仕事じゃない」
こんばんは、お久しぶりです💪🏽
最近は資格試験勉強のためなかなか時間が取れておりませんが、落ち着いてきたので更新します。
さて、今回は「憂鬱でなければ、仕事じゃない」について。
幻冬者の見城徹さんと、サイバーの藤田晋さんが自身の仕事における価値観を語ったものです。
すこし古いなと思う部分もあるのですが、古い価値観の大切さが薄れてきた今だからこそ、より大切にしなければいけない考えや振る舞いが語られているのかなと思いました。
いつも通り個人的に好きなパートを書いていきます!
■努力は自分、評価は他人
大変な努力をしても、そのことを知っているのは自分しかいない。結果を評価するのは上司や取引先や世間である。つまり努力する側とそれを受け止める川は、なんら共通認識のない、まったく別の主体なのだ。両者の間にはどうすることもできない絶望的な溝がある。(見城徹)
結局、仕事とは勝負なのです。「結果ではなくプロセスを評価してほしい」というのは甘えなんです。プロセスは結果論で得られる副産物に過ぎないのです。結果を出せる人は目つきが違う。それは獲物を狙う鷹のように厳しい。初めから勝ちに行こうとしてる。そこにプロセスを評価してほしいという甘えはありません。(藤田晋)
■ふもとの太った豚になるな、頂上で凍え死ぬ豹になれ
ふつう、満足や安定は生の最高の状態、幸福と考えられている。しかしビジネスでは死を意味する。その逆説を理解するものだけが勝者になれる。
ヘミングウェイの有名な短編、『キリマンジャロの雪』にこんな一節がある。「キリマンジャロは高さ19.710フィートの雪に覆われた山で、アフリカ第一の高峰である。その西の頂はマサイ語で“神の家”と呼ばれ、そのすぐそばに干からびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めてきたのか、今まで説明したものがいない。
僕は頂上で死ぬ豹になりたいといつも思っている。頂上を目指し、そこに到達して死ねたら本望ではないか。ぬくぬくと飼い慣らされたふもとの太った豚にはなりたくない。(見城徹)
■憂鬱でなければ、仕事じゃない
憂鬱を喜ぼう!
人は憂鬱なこと、辛いことや苦しいことを避ける。だからこそあえてそちらへ向かえば結果はついてくる。楽な仕事などたいした成果は得られない。憂鬱こそが黄金を生む。
マルクスは人間を受苦的存在と定義した。ドイツ語で受苦とはパッション、つまり、情熱を意味する。苦難と情熱はワンセットなのだ。人間は苦しいから情熱を感じ、それを乗り越えていけるということである。
「迷った時はやめておく」人がいるが、「迷った時は前に出ろ」これが僕の信念だ。迷った時こそ大きなチャンスだ。迷わないものは結果が小さい。(見城徹)
自分の人生を振り返っても、自分が成長したと感じる時は、たくさんの憂鬱が付きまとっていました。大事な社員が辞めた時、業績を下方修正した時、初めてテレビに出演した時、講演した時。
憂鬱を乗り越えるたびに新しい経験を手に入れることができます。それがキャリアになって人は成長していくのです。すでに経験のあることばかりやっていたら、安心して仕事を進められるけど、成長する機会を失っているのかもしれません。(藤田晋)
■量薬になるな、劇薬になれ。
毒にも薬にもならない人には、何も為せない。
そして人は、薬にばかりなりたごる。
しかし、何かを激変させる力があるのは、
薬ではなく毒の方だ。
以上!
いつかこの本に支えられる時が来るような気がする、、、
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