高校生は大人になるべきなのか、子供であるべきなのか
最近「フリクリ」というアメリカでカルト的人気を誇るらしい日本のアニメを見ました。
あるYouTubeの動画で紹介されていて、そんなにアメリカで人気なら見てみるかと思った次第です。
このアニメのテーマは「大人と子供」という点で、そのテーマ以外はものすごく自由でめちゃくちゃでカオスとも言えるアニメです。ポプテピピックに近いかもしれません。始めは全くもって理解できませんでした。でも最後まで見て、それでも大体わからないところもあるので、ネットで解説を見ると全てが繋がっていきました。
このアニメを見て私は、
大人にならざるを得ない経験を積みエゴを捨て選択をする人、子供っぽいのが嫌いで大人の振りをしながら最後はエゴのため子供であることを選択する人、変わらないことを選択するため大人にはならない選択をする人。など、
人生において重大な決断をする時に、エゴを選ぶのか、公共の福祉を選ぶのかで前者は子供、後者は大人と区切られているように感じました。
ただ、この場合の大人というのも決してそう振る舞うのが正解というわけではなく、世間一般的に言われてる大人っていうのはこういうことだよねという、公共の福祉のために自分の欲を犠牲にする日本における昔からの自己犠牲の精神が大人の選択だとアニメの中の地球人の大人はそう言うのです。
しかし、このアニメの本質は私はそこではないと思っていて、このアニメをカオスたらしめる宇宙人の存在。ハルハラハル子というキャラクターが、私利私欲のために、ただひたすらに恋人を追いかけるという地球的(日本的)には子供という立ち位置なのですが、アニメでは大人の象徴として描かれている、地球の大人を圧倒している。そんな存在なのです。
各シリーズの主人公達はこのハルハラハル子というキャラクターに影響されて、ほとんどは地球的に言う子供でいるというを選択していくのです。
子供でいる、と言うよりは、人生において大きな決断をするときくらいはエゴを選んで、子供でいたっていいじゃないかと言うような気はします。
主人公達は小学生や高校生なので、ちょうど子供であるべきか、大人になるべきかを選択する、そう言う時期なのかなと思います。
これが私のフリクリに対する解釈なのですが、(正直フリクリはカオスであるが故に正解はなく、見た人ごとにその人のフリクリがあるといったコンセプトです)
これは、私にとって現実の高校生は大人になるべきなのか、子供であるべきなのかと言う問いを考えるきっかけとなりました。
私の子供と大人の境界の解釈は簡単にいえば「服を自分で選べる人」です。
詳しく言えば「自主的な選択をすることができて、人生にこだわりを持って社会参画している人」です。
フリクリでいうところの子供の精神を、エゴを、人生という大きな芯で見たら持っていなければそれは大人ではないという感じです。
服や見た目にはそれが確実に現れているよなというのが私の感想です。(高校生の時点では)
また、ある時友人に大人になるとはどういうことだと思うか聞いてみたところ、
「自分の力ではどうにもならないこと、理不尽が世の中には存在することを理解できるようになることそれが一つ大人になることの一歩なんじゃないか。」
そう言われ、確かにフリクリのアニメの中の地球人の大人はその理不尽を受け入れてエゴを犠牲にしていた。
そして、主人公たちはその理不尽を理解しながら、葛藤し、最後にはエゴのために理不尽を受け入れず自分の力で未来を勝ち取っていく。
つまり、その理不尽を理解する段階は必ず大人になるための中間ステップ。
仮の大人の状態なのかなと思いました。
多分今の現代を生きる高校生は理不尽の存在については認識があると思います。
そしてその上で高校生の時点で大人になるべきなのか、
私は経験上、なれるのだったら早くなればいいという結論にしたいと思います。
経験・行動はある程度世の中を理解した身なら早いうちにするべきというのが持論です。
失敗は早いうちから積むべきですし、成功したならそれでいい。
むしろ早いうちの失敗は成功です。
だから自分はもう大人になれる高校生たちのために、早く具体的な大人になれるように教育する場を作りたいと思っています。
それが投資部です。
投資部の方針は先ほども書いた
「投資・経済の学びを通じて、自主的な選択をすることができて、人生にこだわりを持って社会参画する人を育成する」です。
高校生限定で投資を軸に、経済・情報・社会課題の学部に部員を分けて、毎週交代で各学部にテーマを決めてもらい、総勢30〜40人(予定)で勉強会を開催するというものを企画しています。
部員1人1人の成長を認識し、運営側としては押し付けないスタイルで個人に合った大人へのなり方をサポートしていこうかなと思っています。(もちろん大人になることは強制しません。私たちの大人の定義があっているとも限らないので、)
いつかまた、この高校生は大人になるべきなのか、子共であるべきなのかという論は投資部を通して見解が変わったら書こうと思います。