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和とは 善き随想(2)
「和」という言葉を目にすると、私はいつも静かな湖の水面を思い浮かべます。風がなければ、水は鏡のように澄み渡り、周囲の景色をそのまま映し出します。
しかし、そこにそっと小石を投げると、波紋が広がり、やがてまた静寂へと戻っていく。まるで人と人との関係のように、和とはただ静かな状態を保つことではなく、揺らぎながらも全体として調和を生み出していくことなのではないか、と思うのです。
私たちは「和」を日本の精神と結びつけがちです。確かに、日本の文化には「和」の意識が深く根付いています。茶道や華道、禅の思想、さらには日常の何気ない礼儀作法にまで、「和をもって尊しとなす」という価値観が息づいています。
しかし、それは単なる「争わない」ことや「妥協する」こととは違います。本当の和とは、違いを認め合いながらも、一緒により良い形を生み出そうとする姿勢ではないでしょうか。
たとえば、和食を思い浮かべてみてください。一つの料理にしても、甘み・辛み・酸味・苦み・旨みが絶妙に絡み合い、どれか一つが突出することなく、全体として一つの調和を生み出しています。
寿司でも、味噌汁でも、出汁の文化でも、「調和」が鍵となっています。これは、日本人の美意識そのものでもあります。互いの個性を活かしつつ、一つの調和をつくる。そう考えると、「和」とは単なる平和の概念ではなく、むしろ積極的に多様性を尊重し、それを融合させる力なのではないかと思うのです。
現代社会では、「和」の精神が失われつつあると言われることがあります。SNSでは対立的な言葉が飛び交い、世界は分断へと向かっているようにも見えます。
けれど、そもそも「和」とは、すべての人が同じ考えを持つことではありません。むしろ違いを認め、それでもなお共に生きる道を探ることこそが、和の本質です。
たとえば、ある職場で意見の対立があったとしましょう。Aさんは「効率を重視すべき」と言い、Bさんは「じっくり時間をかけることが大切だ」と主張します。
どちらかが一方的に折れるのではなく、互いの考えを尊重しながら、第三の解決策を模索する。これが本当の「和」なのではないでしょうか。決して衝突を避けることが和ではなく、衝突したうえで、より良い形に昇華させることが和なのです。
また、和には「なごむ」という意味もあります。人の心がふっとゆるみ、安心感を覚える瞬間。和やかな時間、和やかな空気。
私たちは日々忙しく、何かと競争を求められる時代に生きていますが、そんな中で「和む」ことができる時間を持つことは、とても大切なことです。
それは、誰かとお茶を飲みながら語らう時間かもしれませんし、美しい風景を眺めるひとときかもしれません。心のどこかに「和」の感覚を持つことができれば、私たちはもっと穏やかに、もっと豊かに生きられるのではないでしょうか。
和とは、単なる平和ではなく、静寂でもなく、むしろ動的な調和です。違いを受け入れ、それを活かしながら、よりよい形を探る力。そして、人と人、人と自然との間に生まれる、優しくも力強いつながり。
その和の精神を大切にしながら生きることで、私たちはもっとしなやかに、豊かに、そして美しく生きていけるのかもしれません。
そんなことを考えながら、私は今日も、心のどこかに「和」を感じながら生きていこうと思います。
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