悟れない僕のつぶやき〜言葉の紹介2〜

最近良い評価を貰えて嬉しいです!

自分の知っているモノ(おススメなモノ)を色んな人に良いと思ってもらえているようでなお嬉しいです!

そんな僕が今日話すのは過去にライトノベルで読んだ突き刺さる言葉です。

今回も僕なりの解釈(意訳)で説明します。


石を投げられてもしょうがない様な人と、実際に寄ってたかって石を投げつける人達の醜さは別物である。
その行為の惨めさを知らない人達よ。分かり易い正義に群がる人達よ。
勘違いをしてはいけない。
貴方達は正義ではない。
自身の思想も信念もなく、ただ憂さ晴らしの為に他人を攻撃する貴方達に正義はありません。

理解出来ないものを『悪い』モノと判断し、変わろうとしている努力さえも否定する事しかできない。
自分達を(悪いとするモノからの)『被害者』と言い、自分を高めない。誰かの足を引っ張る事しかできない。
そんな人達が『他人』を泣かせていいのでしょうか?

この世の中、『間違っている』と判断された人に厳しい。
『間違っている』と判断された人を『攻撃』しても善いとされる。

しかし叩いて善いと判断された人を。『悪』であると判断された人を一緒になって叩く事は本当に善い事なのですか?

正義の味方であろうとするのではない。生き難い者の味方をしたい。


いつも逃げてばかりでは、勝手に幸せは転がり込んでは来ない。
他者を僻んで現実を恨んでばかりで、自分からは何もしようとしない。

命懸けで人助けをした勇気ある青年のニュースに胸を震わせ、余命幾ばくもない少女の手紙に涙を流すその感性で、他人を憎悪していませんか?
物語の主人公に自分を重ねて、強く正しく美しく在りたいと願いながら、他人を傷つけていませんか?
愛や友情の素晴らしさを語った口で他人を蔑んだり、自分を偽っていないでしょうか?


考えない、想像しない、成長しない。そんな『動物みたいな人』になっていませんか?

ヒーローや魔法少女に憧れ、正義であることを望み、悪を憎み、愛や友情を美徳としながら。
なぜ私達は人に優しくなれないのでしょう?


この様な問いかけは、殆どの人が歳を重ねるにつれていつの間にか『なんとなく』自分の中で折り合いをつけてしまっている。
幼い子どもみたいな問いかけです。
自分は自分。他人は他人。
自分は普通の人間だから。
画面の向こうにいるのは『特別』な存在。変わり者と言ってもいい。
物語を真に受けて。現実との区別をつけて……

しかし、そんな稚拙ながら切実な命題を。
何年も生きてなお真剣に問い続ける人を、『現実に妥協』してしまった人達の誰が笑えるのですか?

パクリでも模倣でも猿真似でもなんでも良いではないですか。
正義のヒーローの真似、魔法少女の真似、男の真似、女の真似、人気者の真似、好きな人の真似、尊敬する人の真似。

格好いい自分になる為の真似(学び=真似び)は、理想へと近づくために足掻き続ける姿はとても滑稽で格好悪くて残念で……
だからこそ誰よりも格好良いのではないですか?

うむ。意訳が過ぎる気がしますが僕はこう感じて解釈しました。
これ聖書に載ってそうな話(石を投げる云々の部分)ですが、ラノベなんですよねぇ……
しかも基本はギャグです。
でも、作者は自分の『伝えたい言葉を作品に込めたんだと僕は思います。
これは一昔前に流行った『僕は友達が少ない』の第10巻から抜粋しています。
何度も言いますが意訳が過ぎるかもしれません。
いじめられた『残念な友達』をかばう少女の言葉と主人公の言葉をミックスしてあります。

違う意見だと思う人もいるでしょうが、それは心の中だけで止めておいてくれると幸いです。

長文失礼しました。

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