見出し画像

徳川家康のゆかりの地を巡る

明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します
さて、新春第一号です。今年は気負わずに、季節に1回程度上げていきたいです。どうか、お付き合いください

能登半島地震


年明けから、能登半島地震、羽田空港の航空事故が起きました。お亡くなりになられた方やご家族の方々にはお悔やみ申し上げます。被災され、避難所で過ごされている方々におきましては、お見舞い申し上げます。航空事故では、旅客機の乗客は奇跡的に全員助かりましたが、貨物室の中でペットが2匹亡くなったと聞き、大変心を痛めております。愛犬家の私としては家族同様に生活しておりますので、人間と同等に助けてあげられるような社会を望みます。

どうする家康


昨年の我が家のブームは、『どうする家康』でした。
今まで、歴史には全く興味が湧きませんでしたし、日本史も世界史も苦手な教科でした。歴史上の人物は武勇伝のような良い話で描かれる事が多いですが、『泣き虫、優柔不断』といった情けない切り口が面白そうだなぁと見始めました。

NHK大河ドラマ『どうする家康』

家康の凄いところ


illust ACより


家康は戦乱の世に終止符を打ち、天下統一を成し遂げ、260年に渡る江戸幕府の礎を築きました。歴史上の人物で最も尊敬する人物です。彼が天下を取れた要因(凄いところ)を自分なりに挙げてみました。
①優秀な家臣団
②粘り強い忍耐力
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」徳川家康の性格を表現した有名な句です。6歳から19歳まで、織田家⇒今川家の人質として過ごした幼少期に培われたのではないでしょうか。
③敗戦や失敗からの学びの力
④運の良さ
豊臣秀吉に攻め込まれそうになったが、『天正大地震』に助けられたり、“戦国最強武将”の武田信玄に「三方が原の戦い」で大敗したが討ち死にせず、その後信玄が病死してしまうという運に助けられたエピソードが多数あります。
⑤健康オタク
家康は健康に留意して長生きをしたからこそ、天下を取れたと言われています。『どうする家康』でも、家康が薬研(やげん)で自ら薬を調合して飲むシーンが多く見られました。また、麦飯や八丁味噌などの粗食好み、鷹狩などで体を鍛えていたようです。江戸時代の平均寿命は35~40歳程度と推測されていますので、75歳まで生きた家康はそうとう長生きだったと言えます。

家康ゆかりの地へ


年末年始に家康ゆかりの地を巡る静岡旅行をしましたので、ご紹介します。

駿府城(公園)


駿府は家康にとって、人生の約1/3を過ごした土地です。幼少時代(8歳から19歳まで)、今川家の人質として、駿府で12年間過ごしました。そして、征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた後、将軍職を2代秀忠に譲り、自らは『大御所』となり、再び駿府に戻ってきました。
そして、晩年の9年間(66歳から75歳)駿府城で過ごし、75歳で亡くなります。

家康の銅像


駿府城跡

久能山東照宮


駿府城で亡くなった後、遺言通り久能山に葬られ、その後久能山東照宮が建てられたようです。駿河湾側からアプローチすると、1159段の石段があり運動不足の体に少し応えました。

階段の途中で駿河湾を見下ろす

日本平からロープウェイで行くこともできます。
煌びやかな久能山東照宮の御社殿は素晴らしかったです。

御社殿

下の写真の1カ所、葵の紋章が逆さまになっているカ所があります。分かりますか?

一つだけ、葵の紋章が逆さまに?!

博物館の黄金の甲冑や有名な御遺訓には感動しました。

博物館に展示してある甲冑

美術展ナビ『生誕480年記念 徳川家康公展』から
左:関ヶ原の戦いで着用した甲冑・歯朶具足(しだぐそく)。右:松平元康を名乗っていた19歳の頃に着用した甲冑・金陀美(きんだみ)具足。

家康の御遺訓

徳川家康の遺訓意訳(湘南市教育ネットより)

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

三保の松原


日本三大松原。織田信長が武田家を滅ぼし、甲斐征伐を成し遂げた後、家康はお祝いに『富士遊覧の旅』でもてなします。その時に立ち寄った場所の一つです。

三保の松原の夕景(正面には雲を被った富士山)

本栖湖


富士五湖の一つです。その中で最も深く、透明度の高い湖です。私が富士山を近くで撮影するのに一番好きな場所です。映えます。同じく、富士遊覧の旅でもてなした名所です。

本栖湖から富士を眺める

富士山本宮浅間大社


全国に約1300社ある浅間神社の総本宮。何と?富士山の8合目以上は、富士山本宮浅間大社の境内地です!
慶長5年(1600)、「関ヶ原の戦い」で、徳川家康公率いる東軍は石田光成率いる西軍に勝利し、その御礼として本殿をはじめとする約30棟を造営したようです。安永8年(1779)に、徳川幕府により富士山八合目以上は富士山本宮浅間大社の境内地として正式に認められました。
境内は犬の同伴が認められており、ルカとお参りしました。

ルカとお参り

そして、見事な笠雲を纏った富士山が見られました。今年も良い年になりそうです!!

大きな二重の珍しい笠雲を被った富士山

最後に


 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。昨年、我が家でブームだった『徳川家康』について書かせていただきました。家康はリーダーとしても、尊敬できる武将です。これを機に歴史を勉強していきたいと思います。今年もよろしくお願いします。右下の♡(スキ)やフォロー、シェアで応援頂けますと、励みになります。よろしくお願いします。

#徳川家康 #富士山 #駿府城 #久能山東照宮 #三保の松原 #富士山本宮浅間大社 #武蔵浦和整形外科内科クリニック


参考HP

静岡の徳川家康ゆかりの地を巡る旅


徳川家康公の足跡をたどる

駿府城公園



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?