私が車の運転を嫌いな理由を深掘りしてみた。
ふと思う、なぜ車の運転がこんなにも嫌いに・・・?
私が20代前半、車が好きだった。スポーツカーが特に好きだった。
平成初期のスポーツカー、80スープラを一目見て私の心は奪われてしまった。
スポーツカーが轟音を放ちながら猛スピードで走っていくさまを見ると、心が痺れ震えた。興奮した。
カッコイイ車に乗りたい、私はそう思った。だが、燃費がとにかく悪い。ガソリンを垂れ流しながら走る無駄な車と揶揄される対象だ。そして車体も高い。修理費も高い。保険も高い。維持費のせいで生活がままならなくなる。馬鹿の私にもそれくらいはすぐ納得した。
だが、どうしてもミッション車に乗りたいと考え、父親の伝手で私の手元に来た愛車がダイハツのミラバンだ。
もう今は走行距離10万キロを超え、あちこちが壊れながらも治し治し乗っているという状況。もうちょっとだけ俺の傍に居て欲しいが、そろそろ新しい車にしなくてはなぁ・・・。
そんな愛車に乗って10年以上経過、今ではタイトルにある様に、車の運転が嫌いになってしまった。
その理由は何故かを考えてみようと思う。
運転中あからさまに増える小言
私は愛知県民だ。察しが良い人はこの一言で頭の中に浮かべるであろう「名古屋走り」という、愛知県民の運転マナーの悪さを揶揄した言葉を昔からずっと聞かされ大人になった。
運転中、周りの車が気になる。何が気になるのかって?周りの車の運転マナーだ。
交差点でウインカーを出さない車。コンビニの駐車場を横切ってショートカットする車。車線変更の際のウインカーを出さない、おまけに追い越し追い抜き危険運転。後続車の車間距離が近すぎる。前方の車がその前の車へ煽っている。交差点黄色信号で私が止まったら片道一車線なのにもかかわらず後続車が私の車両をぶち抜く危険運転。交差点付近での駐停車。横断歩道での歩行者優先無視。ゴテゴテの改造車(カッコイイ)。緊急車両のケツに続く馬鹿。一旦停止無視。etc…
もう言い出したらキリが無い。
私はこういった運転マナーを見かける度、車内でブツブツと暴言や愚痴をこぼしている自分に気が付く。運転中はあからさまに小言が増えるのだ。
過去の私は車の運転のどこが好きだったのか?
運転の際の加速感が好き。どこへでも連れて行ってくれるワクワクとした高揚感が好き。目的地に無事到着した時「到着した~!」という達成感。季節が良いと窓を開けて、風にあたりながらハンドルに片手にかけ、爽快感に酔いしれる感覚が好き。道路の舗装が綺麗な道に差し掛かると周りの音が静かになり、自分の身体と自分の車が一体になった様な不思議な感覚が好き。運転に疲れた時はコンビニへ寄り缶コーヒーを買い、アイドリング中のエンジン音を聞きながら、外に出てタバコを吸う(現在は完全にタバコを辞めました)、毎月晴れた日はなるべく洗車をして、タイヤの空気圧を見て、車内の掃除をして、面倒を見るのが楽しくて、何か不具合を感じると車の修理屋へすぐ連絡して・・・。
愛車の面倒を見るのが、ただただ好きだった。
あぁ、私は大人になってしまったんだ。
車は好きだけど、運転は嫌いという事実は今の所不変だ。
年を重ね、車はただの移動手段と化し、関心も薄れ、感動する事さえほとんど無くなってしまった。しまいには世間の車バイクはEV化、昔の車は博物館送りか。昔の車に感動した人は皆、EV車に感動はしない。おそらくその音とスピードや迫力に感動された人が大半だと私は感じるからだ。確かにEV車は速いかもしれない。音も静かだ。安心した乗り心地かもしれない。でもそれは、迫力や感動だけを捨て、移動手段という事を全て肯定した結果なのではないか。
言葉が悪くなるが、EV車はリニアモーターカーにしか見えない。しまいにゃAIだ自動運転だ。
従来”人が運転するもの”だったものが、”人が荷物の様に乗せられるもの”の様に感じる。これのどこに夢があり、どこに楽しさがあるのか(注意:リニアモーターカー等を否定しているわけではありません。私の主観の好みの問題であり、その他の方を不快にさせる意図はありません。語気が強くなってしまいすみません)。
昔のやかましい車が魅せてくれた迫力や感動を、EV車のどこに見い出せるのだろうか。
私たち昔の車好きはまた一からEV車の楽しみ方を考え、覚えなくてはいけない。それが知り、学び、楽しむという事だと思う。だがそれが億劫に感じるのだ。
ここまで来てようやく「私は大人になってしまった」という事を自覚した。
カッコイイ車は、今でもカッコイイ
話が少し逸れてしまったが、私が昔好きだった車は、結局今でも好きなのだ。
運転中に80スープラや、S15シルビア、180SX、R34GTR、シビックやフェアレディZ、RX-7やMR-II等、当時好きだった車を見かけたりすると、今でもカッコイイなぁと思い、そして嬉しい気持ちになる。
新型(DB型)のスープラが駐車場に駐車されてるのをぼーっと眺めていたら、なぜだか涙が出て来た事がある。この時の涙の理由はよく分からない(多分疲れていたんだと思う)。
顔に皺が目立ちだした初老の人が運転手だったりすると、尚痺れる(カッコイイなぁと思う)。
車馬鹿は大人になっても車馬鹿。これはどちらかというと誉め言葉だ。
私が他人へ「自分は車馬鹿だ」とひけらかす事は無いが、車馬鹿の自覚はある。車好きの人の気持ちも分かる。だからこそ、運転マナーくらいちゃんとしようね。
31歳になったおっさんがnoteで何を言ってんだか、少し恥ずかしくなって、頬を指でかいたところ、ニキビをひっかき、少しだけ痛かった。
何か気が付いたことがあれば、是非コメント下さい。
最後まで御覧頂き、ありがとうございます。感謝します。