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新卒でNECのシステムエンジニア(SE)として働いてみて(2001~2006)

はじめに

初めまして!現在、株式会社contento というコンサルティング会社で代表を務めている小川正樹と申します。

noteでは、これまで私が複数の会社で働き、そこで得てきた経験について会社ごとに紹介しながら、プロダクトマネージャーとして学んできたことや日々の持論について書いていきます。

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新卒でNECを選んだ理由

大学では慶応のSFCに通っており、卒業後はNECネクサソリューションズ(以下「NECネクサ」)に就職しました。

起業するか、独立して働きたいと考えていたのですが、社会の仕組みや起業についてのノウハウが全くありませんでした。

社会はそれほど甘くなく、情報や知見が全くない状態で戦うのは無謀に思えました。
なので、「最初は社会勉強しながら経験を蓄えよう」と考えました。

2000年は内閣官房にIT戦略本部が設置されIT基本法が制定されたり、Googleが日本語の検索サービスを開始したり、Amazonが日本でサービスを開始したりと、インターネットが急速に普及し始めていました。

このような時代背景的に、
インターネットがビジネスの中心になるのは間違いないんだろうな~
と感じるところがあったのと、
私は大学の必修科目だったプログラミングが割と得意だった
こともあり、

「最初はITエンジニアになろう。経営はそのあとだ」

と考え、

情報技術の基礎と、社会人としての基礎を身に着けられる会社」

を探した、というわけです。

以上の理由より、NECネクサに入社させていただくことになりました。

NECでやってきたこと

1年目

NECネクサに決めた理由がもう1つあります。

私は5年で辞めて『スタートアップの世界』に冒険に出たいので、
挑戦の機会を得られる可能性が高いと思われる会社に入りたかったのです。

要は分母の小ささです。具体的には「社員の少なさ」です。

せいぜい20人くらいしか採用しない会社が良かった。
かつ、大企業の看板があるところ。
大企業系列であれば研修等がしっかりしているはずだ、と考えたからです。
大学時代にエンジニアになるための勉強をしていなかった私には、しっかりとした教育をして頂ける環境が必要でした。

NECネクサは大企業の看板 × 少人数採用でした。
まさにドンピシャだったわけです。

入社後は、とにかくアピールをしました。「経験は無いがやる気はある!」
こいつに何かやらせてみよう、そう思わせることで、早くチャンスを得るために必死のアピールです。
エンジニアとして技術力も経験もないので、武器はやる気だけです。

具体的にやったことは、新卒研修のおいて課題に対するアウトプット量や課題を終わらせる速度でトップを取ったり、配属後にOracle Master Platinumという難しい資格を取る、などでした。

そのような活動が実り、配属してすぐに鉄鋼メーカーの在庫管理、購買管理システム開発プロジェクトに参画させてもらえることになり、一部機能の設計、開発を担当しました。

社会人1年目は、生まれて初めて将来からの逆算で一生懸命勉強をした、
そんな時期でした。

早く会社の戦力として働きたくてうずうずしてました(笑)

2年目から4年目

この3年間は、成田空港の輸出入貨物倉庫管理のシステムのリニューアルプロジェクトにフルコミットさせてもらいました。

幸運にも、超大規模システム開発プロジェクトの発足時点から参画させてもらいました。

マニアックな話になりますが、国際物流は本当に奥が深いんです。

情報システムで制御すべきヒト・モノ・カネ・情報が非同期に動き、
さらに

  • 天候

    • 台風だと飛行機が降りてきませんので、処理タイミングがズレます

  • イベント

    • ボジョレーヌーボーなど。特定貨物の異常な激増で倉庫が埋まります

  • 人間らしさ

    • ヒューマンエラーに加えて、悪意なども含みます

  • 異なる文化

    • 例えば、インドの貨物のバーコードがピンク色だったりしたことも

・・・などと言った「情報システムの管理外」でしょ・・みたいなパラメータが加わり、凄まじい数のイレギュラーケースが頻発します。

あらゆるイレギュラーを制御する。これに挑んだ3年間でした。

カヌーの先っぽに隠してある麻薬の密輸、ワシントン条約違反の動植物、書類には「猫」って書いてあるのにライオンだったりと、基本的に海外からの輸入申請書はウソばっかり書いてありますので、どんな貨物が何個届くのか、届いてみないとわからない。

そして天候が大きく影響しまして、特にヤバいのが台風です。
台風によって着陸できなかった飛行機は上空でグルグル待機するんですが、台風一過で一斉に着陸してきます。
それに併せて飛行機に積んであった貨物が一気に大量輸入され、そのたびにシステムが高負荷で停止しそうになるという。。
台風が来るたびに、システム監視にべったり張り付くのが日課でした。

みたいな日々を過ごし、あっという間に3年間が経ちました(笑)

長くなりました、、

何が言いたいかというと、
この仕事をしていたから今の私があると言っても過言でないのです。
それほど良い経験をさせてもらいました。

そもそも情報システムとしての難易度が非常に高い。
国が関係する「輸出入」をつかさどるシステム運用という重大な責任。

この仕事に携わっていただけで、エンジニアスキルは飛躍的に向上し、
常駐期間も長かったことで顧客折衝能力も爆上がりしたと感じます。
心身共に強くなれた。そんな時期でした。

5年目

5年目は本社に戻り、管理職になりました。

管理職として部下を2人率い、suicaの売上計上システムやJR系の駅ビルのテナント管理システムの開発・運用を担当していました。

しかし、管理職という役職は自分には時期尚早、
20代は現場のエンジニアとしての経験値を積み上げるべきだよな
という気持ちが勝りました。

オジサンになってからでも管理職は出来るけど、
頭が柔らかいうちに技術を習得・実践したほうがいいな、と。

と言うことで入社前からの構想通り、スタートアップへの転職を決意。
創業したばかりのSaaSスタートアップに飛び込むことになりました。

最後に

今回はNECネクサを選んだ理由と経験について記事にまとめました。
社会人・エンジニアとしての基礎体力を身につけさせていただきました。
辞めて20年強が経ちますが、
今でも当時の上司・同期・後輩と飲みに行く人間関係が継続しています。
本当に素晴らしい会社でした。感謝しかありません!


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