2021/05/11 透明になりたい。

 

「わたしはわたしに、おやすみなさいと言う」


 わたしたちは、絶え間ない日々を生きている。それは自身や周囲の環境に何事もない限り、明日も続き、明後日も続くものだろう。そんな休符のない日々の中で、ときに一休みしたくなることはないか。

 わたしにはある。わたしはわたしから離れてまっさらになりたいと、そういう思いが時々、にわか雨のように浮かんでくる。ただ、勘違いされたくはないので言っておくが、これは希死念慮ではない。白い絵具を塗り重ねられる油彩のように、雪解け水のように、ただ透明になってしまいたい。感情だとか意識だとか熱量だとか、そんな物とは無縁になって、ただそこに在るだけになりたい。生きることも死ぬことも、そこには膨大な熱量が発生する。疲労と感情とが蓄積するそれらを捨て去って、次なるベクトルに縋りつくことは不可能だろうか? 正直言って、うんざりだ。生きることも死ぬことも、疲労し、感情を揺り動かすことも、決して徒労ではない。そんなこと、わかってはいるけれど。

 まあ、こうして話のネタにもなるのだから、うんざりのそれ自体は悪くないのだろう。うんざりをどう思うかは、わたし個人の問題に過ぎない。

だからきっと、明日もこう言うのだ。

「おはよう」

わたしはわたしに言う。それでもいいかな、とは思う。せめてもっともっとうんざりして、この身体をすっかり使い古してからで。まあ第一透明なのだから、透明への出発点などどこにもありはしないのだろう。わたしは、その行先のなさに憧れている。

透明になりたいわたしから、透明なあなたへ。あなたは今どこにもいない、けれど、だからこそどこにでもいたんだね。わたしはそんな、あなたが好きです。

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