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ムサビ授業2:コロナ禍の今だから夢を語ろう。

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダーシップ特論 第2回(2021/04/19)
ゲスト講師:岩渕正樹さん


◆「クリエイティブリーダーシップ特論」とは?
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースで開講されている授業の1つです。
「クリエイティブとビジネスを活用して実際に活躍されているゲスト講師を囲んで、参加者全員で議論を行う」を目的に、社会で活躍されている方の話を聞き、受講生が各自な視点から考えを深める講義となっております。

◆注記
この記事は、大学院の講義の一環として書かれたものです。学術目的で書き記すものであり、記載している内容はあくまでも個人的な見解であります。筆者が所属する組織・企業の見解を代表するものではございません。

ゲスト講師 岩渕正樹さん

岩渕さんは、東京大学工学部、同大学院学際情報学府修了後、IBMDesignでの社会人経験を経て、2018年より渡米、2020年5月にパーソンズ美術大学修了されています。その際には、「スペキュラティブ・デザイン」の提唱者ダン&レイビーに師事されていたというすごい方です。

現在はNYを拠点に、TeknikioのDesign Directorとして活動されていると同時に、東北大学の客員准教授であり、Speculative Futures TOKYOという団体のChapter Leaderも務められています。

キャリアの面では、デザインスクールを卒業した日本人として、ムサビの修士学生からしても先達のような方です。既にnoteその他のWebメディアで多くのことを書かれており、著者もビジネス×アートが流行りになった頃から発信内容を興味深く読ませていただいていました。

スペキュラティブ・デザインという領域

「スペキュラティブ(Speculative)」という言葉に聞きなれない方も多いかと思います。日本語で言えば「思索的」といった意味合いで、「問題解決型のデザイン」ではなく、「問いを創造するデザイン」という立場のことを言います。

筆者は「デザイン」を「課題を誰の目にも明らかに示し、それを美しく解決すること」と定義していますが、スペキュラティブ・デザインは「既存の価値や信念、態度を疑って、さまざまな代替の可能性を提示する」という点で大きく性格が異なります。

スペキュラティブ・デザインの実践者

日本では長谷川愛さんスプツニ子!さんが有名かと思います。著者もお二人作品を見たことがありますが、ひどく考えさせられ、Speculative(思索的)というのに妙に納得してしまったのをよく覚えています。

この2人の作品は、岩渕さんの以前の講演資料(Designship2020)でも触れられています。

Social Dreaming through Design ~夢を語れ~

岩渕さんはスペキュラティブ・デザインから派生し、「夢」の大事さを強調されています

スペキュラティブ・デザインの説明のなかで、岩渕さんは「現在の延長線上ではない、飛躍した未来をデザインにより可視化し、どれが我々の目指すべき未来なのかを議論する領域」と語られました。

今回の講演の中でも「Social Dreaming (     )  Futures」という問いかけがあり、かっこの中には、"Speculative", "Positive", "Humane", "Sustainable", "Meaningful", "Pluriversal"のような言葉が入ります。

筆者はこれを、ビジョンから逆算して現在の活動を考えるバックキャスティング的なアプローチが取るにも、そもそも未来を夢見れなければ、ビジョンは明確にならない、ということを伝えてくれたのだろうと解釈しています。

「問いを立てる」という力を使って、1人1人の夢を具現化することが社会をよりよくしていくパワーを持つ、そういったメッセージを受け取りました。
皆が「夢を語れ」と、そういうことだと思います。

コロナ禍の今だからこそDreamingを

余談となりますが、「スペキュラティブ・デザイン」は、筆者がムサビ受験を考える遠因といっても過言ではありません。

筆者は新しい経済の形を考えたいと思っていた中、「ビジョン・デザイン」という領域を知りました(以前のnote(↓)に詳しいです)。そのときに読み漁った本の1つが前述の『Speculative Everything』だったというエピソードがあります。

「夢を見る」という文脈で、脱線をもう一つ。

これを書いている2021年4月25日は、日本で3回目の緊急事態宣言が発出された正にその日です。世界はコロナ禍の影響を1年以上も受けて、生活は大きく変わっています。

人と会う機会は激減し、デジタルデバイスを介したビデオ会議の機会があっという間に増えました。また、マスクをつけることが服を着るのと同等の当たり前の行為に変わっています。何より経済への影響も甚大であり、失業や生活の困窮の問題も顕在化しています。

長く「非常事態」が続くと感覚が麻痺するものですが、今は正にその状態に陥っています。大局的な視点で考えると、コロナ禍とは100年後も語られるであろう大きな出来事のはずなのに、いつの間にか皆が慣れてしまっている、というのが現状かと思います。

事態の大きさに目を背けて、すぐにまた「いつも通り」に戻るから、今まで通りでいいんだ、というようなスタンスを取っている人もいるようです。

著者はそれに大きな違和感を感じています。

コロナ禍が起こる前から「VUCA」と呼ばれる世界が到来していました。
その時点で非連続的な変化に備えなければならない、ということが言われていましたが、更に「コロナ」というパラメータが掛け合わさったことによって、一層よくわからない時代になっていると思われます。

何より、今起こっている変化は不可逆なものにしか思えません。だからこそ、見て見ぬふりをやめ「どういう変化が起こるのが望ましいか」を考えるのが求められるスタンスではないでしょうか?

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"Great Reset"という千載一遇のチャンス

日本でコロナ禍が広がり始めていた頃、筆者は経営コンサルタントとして、この恐ろしい感染症が産業にどのような影響を与えるかをシミュレーションしていました。

その時に知ったのが、2021年の世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)のアジェンダが"Great Reset"と銘打たれそうだということで、大きな衝撃を受けたのをよく覚えています。

何か、自分がもやもやと考えていたことが、その一言に集約されているような気がしたのです。

そのときには自分が何をしたいのかもわかっていなかったのですが、ひたすら「やっぱり世界は大きく変わるんだよなあ」ということを反芻していたと記憶しています。

世界経済フォーラムから引用すると、"Great Reset"とは以下を指します。
簡単に言うと、コロナ禍を機に、経済・社会システムをあるべき姿に再構築するという考えと言えるでしょう。

・「グレート・リセット」とは、協力を通じより公正で持続可能かつレジリエンス (適応、回復する力)のある未来のために、経済・社会システムの基盤を緊急に構築するというコミットメントです。
・「グレート・リセット」には、社会の進展が経済の発展に取り残されることのない、人間の尊厳と社会正義を中心とした、新しいソーシャル・コントラクト(社会契約)が必要です。

また、フォーラムの創設者であり、現在も会長であるクラウス・シュワブ自身が書いた書籍もあり、これも大変示唆に富んだ内容になっています。

私自身の夢

筆者の尊敬するノーベル経済学者のアマルティア・センが、英フィナンシャル・タイムズ紙にコロナ禍について寄稿した記事があります。

"A better society can emerge from the lockdowns
-History shows some crises lead to improved equality and access to food and healthcare"

https://www.ft.com/content/5b41ffc2-7e5e-11ea-b0fb-13524ae1056b

その中で、「団結が必要になると必ず公的行動(public action)の建設的な役割が重んじられるようになる」ということが語られています。

それを裏付ける具体例として、彼は第二次世界大戦後の人々が国際協力の重要性に気付いたこと、イギリスのような国では、食料品の配給や医療に注目するようになった(それが福祉国家の成立につながった)を挙げます。

センは、「共感性・関わり合い・利他性」(コミットメント)を重視し、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと主張したことで有名です。

私自身の夢は、新しい経済の形(「共感経済」)を構想し、ささやかでも社会実装をしていきたいというものです。いまは、一介の社会人の大言壮語でしかないですが、明確なビジョンを持つべく夢を抱き続けたいと思っています。

印象的だった話(デザインとアートの境目は何か?)

「デザイン」と「アート」境界が曖昧になっているという言説をよく耳にします。個人的には、「アート=表現と創造」、「デザイン=問題解決」という説明が腹に落ちるのですが、他にも「アート=0から1」「デザイン=1から100」というように、色々な説明がされています。

一方、「スペキュラティブ・デザイン」という領域はそれ自体が矛盾しているような印象を受けます。「思索的なデザイン」は、自己を主体に問題提起をしているという点で、アートと肉薄しているのではないか、、というのがその理由です。

実際に、長谷川愛さんやスプツニ子!さんの作品は、「スペキュラティブ・デザインの作品」ではなく、「現代アート作品」と呼ばれることも多いです。

この点を思い切って岩渕さんにも尋ねてみたのですが、以下の回答を頂きました。

Q.
 Speculative Designは問いかけを作るという点で、アートに近づいていると思われるが、何が両者の境界線になりうるか?

A.
デザインは最終的には人間に返さなければならない。つまり、人間が使えるものになっていたり、知恵を与えるものになる。人間に関わるものとしてプロダクトだったり形を持ってなければならず、ファインアートのように飾って終わり(「後は考えて下さい」というものではない)という点で異なる。

アートの守備範囲をどこまで取るか、という論点もありますが「人間に具体的な影響/行動を示唆できるか?」というのが一つの基準になるということかと思います。アート/デザインの議論は、今後も美大で考えていきたいテーマです。

クリエイティブリーダーシップとは?
~未来を思索的に考え、ビジョンを描くこと~

前回のCL特論(以下参考)は、「現状の林業に課題意識を持って実践に移した」という側面が強かったと感じていますが、今回はズバリ「夢を持ってビジョンを描き、行動に移す」というのがテーマでした。

現状をトリガーにするのか、未来をトリガーにするのかという大きな違いがあり、今後のクリエイティブリーダーの講演もこの軸で体系化できる気がするので、示唆が出せる段階になったら整理したいと考えています。

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