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能登の産科医療について考える

能登の地震がおきたとき,わたしが真っ先に思い浮かべたのは,2年前の新生児死亡のことでした.現在,能登地方でお産ができるのは市立能登病院だけで,そこには産科医がひとりしかいません.いわゆるひとり医長と呼ばれる体制です.そこで常位胎盤早期剥離がおきて,仮死で出生した新生児が亡くなったという事件でした.
女医は東京へ…「地域でたった一人"365日働く"男性産科医」赤ちゃんも医師も不幸になる地方の惨状 2市2町に産科医1人だけ…「分娩をやめる」病院が増えるワケ | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

常位胎盤早期剥離(早剝)についてちょっとだけ解説いたします.胎児に酸素や栄養を供給する胎盤が,赤ちゃんが生まれる前に先に剥離してくるものであり,早剥が進行すれば児には致命的です.また胎盤剥離によって組織成分が母体の循環血中にはいり,DICとよばれる出血がとまりにくい状態に陥り,大出血によってしばしば母体の命すらも奪う本当にこわい病気です.

一口に早剝といってもさまざまな程度と経過を示すものがあります.1時間以内に発症し完成する超急性のものから,時間をかけて徐々に進行するものまでありますが,さきほどの輪島病院の例は,出血から娩出まで14時間ですので比較的ゆっくりのようです.当初は出血を産徴ととらえ,陣痛開始,切迫早産と判断したのはむしろ自然だったと思います.

わたしには報道で知る以上の情報がないので,以下は一般論として述べます.早剝は全分娩の0.5%でまれな合併症です.ただし本症例のように,妊娠35週の早い時期に出血,子宮収縮があれば,それより高い頻度が見こまれます.当然警戒が必要になりますが,それにしても確率的にいえばほとんどの場合早剝ではなく,そのまま分娩(早産)となることがふつうです.

仮に早期に早剝と診断して帝王切開するか,母体搬送すれば母児とも無事だった可能性は高いのですが,これはあとからの結果論にすぎません.早剝の早期診断はむずかしい,というよりもふつうは無理です.あくまでも確率としてとらえていかなければなりません.だからこれを誤診というのはまちがいです.

それではふつうはどうに考えていくのでしょうか? 妊娠35週で出血,陣発だと早剝は通常の数倍の頻度となります.仮にそのリスクを3%と見込みます.この時点で帝切せよとなれば,残りの97%は不要な帝切となってしまいます.あきらかな過剰治療といっていいでしょう.たとえば産科医療にたいする一般のひとたちの要求度があがると,帝切率が上昇するのはこのためです.

早剝は個人差はあってもかならず進行していきます.途中で自然治癒することはありません.だから分娩経過をたんねんに監視する必要はあります.もし早剝であれば常とはちがう子宮収縮や出血,胎児状態の悪化がおきてきます.超音波も感度特異度ともよくありませんが参考になります.所見と検査を総合的に判断し早剝の可能性が3%でなく,30%と見こめれば即帝切です.

もちろん早剝の可能性があがりそうとなれば,念のために緊急手術の準備も併行してはじめます.どの段階で帝切とするかは,その病院の人員や医療資源にもよります.あくまでも確率で判断して意志決定しますので,帝切をしてみたら児は元気で,早剝もまったくおこっていなかったということはしょっちゅうあります.

結果論で正診だ誤診だということがいかに無意味かおわかりでしょうか.それではどうしたらいいのか.どんな分娩でも早剝はおこりえます.だから産科医が24時間継続して監視できるような医療体制が必要となるのです.産科ひとり医長でそんなことはできっこありません.すべてはそのような体制を容認していた病院の責任です.

もちろん産科医師が連続した経過観察をおこたった責任はあるかもしれません.しかし有休の取得は労働者の権利とともに経営者の義務でもあります.有給休暇中にあたりまえのように呼びだされるのは,それはすでに休暇とはいえないでしょう.今日要求されている産科医療水準を達成するためには,産科ひとり医長はけっして容認できないのです.

ちなみに「不適切な薬剤投与」とは,分娩を早めることを目的としてオキシトシンを投与したことをさしますが,これもケースバイケースです.早剝が進んでいるとき,帝王切開の手術侵襲をきっかけとして一気にDICが完成することがあります.このケースのみかたをかえると,早剝でも帝切をせずに,陣痛促進して経膣で児を娩出できたから,母だけはなんとか救命できた,ということも可能です.

ひとりで早剝の帝切をして母児とも死亡したということは以前はよくありました(たとえば喜界島事件).しかしこれも結果論でしかありません.医療は本質的に不確実なもので,判断(診断)はあくまでも確率論にもとづいておこなわれます.最悪の結果をさけるためにはどのような判断をすべきかが重要です.

ことのおこる前にリスク(事前確率)を想定し,その判断の可能性を高める(あるいは低める)ため,適切な検査を選択したりていねいに経過をおっていく.その結果リスク(事後確率)が高いと判断されたら,すぐに介入する.これはすべての医療に共通していることです.結果論で非難するのは筋違いです.

医療判断のこういった本質を理解すれば,いろいろなことがわかってきます.病院の今後の対策として「産科医不在のときは院長が対応する」などはいかに愚かしいことか.ちょっと別な例ですが,新型コロナのPCR問題もおなじです.検査ひとつの結果ですべての医療判断ができるわけはないのです.

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