NIPTの本質は選択的中絶である
出生前検査の本質は,だれがなんと言おうと,妊婦が自分のためにおこなう選択的中絶だということに目をそむけてはいけないと思います.NIPTを受けてなにもなくて安心できたのは,結果的に幸運だったにすぎません.安心だけが欲しくて軽い気持ちで受けてはいけないのです.
ただ安心したくて受けて,そうでない結果がでて苦しむひとはたくさんいます.「出生前診断の現場から」でいいたかったのはそういうことです.しかしこれは評判が悪かった.「非常にかたよっていて当事者である妊婦と家族に寄りそってない」とアマゾンレビューに書かれ,多くの「いいね」がついています.
そのレビューが反対に評価しているのは,複数の批評家のや,いろいろとうるさいことを言わずすぐ検査してくれる無認証施設です.しかし彼らはその女性の苦しい決断をサポートするわけではなく,中絶に「寄り添って」ケアをしてくれるわけではない.それを現場で必死になってやっているのはわれわれです.
「寄り添う」というのは,耳当たりのいいことばをかけたり,うるさいことは言わずかんたんに検査をしてくれることではありません.問題は検査のあと「陽性」がでたときです.苦しみのなかから絞りだすようにだされる「決断」に,その内容いかんにかかわらず最後までいっしょについていてあげられるのか.
一方で,NIPTは命の選別である,子どもを産み育てようとするひとは命の意味を考えるべきである.そういって検査を断念させる臨床遺伝専門医もいます.たしかにNIPTをおこなわなければ,当事者は苦しい決断にせまられることも,つらい中絶を経験することもありませんが,わたしはこれもちがうと思います.
「なるほど医者がそういうならそのとおりだ」と思う妊婦さんも一定数いるでしょうが,赤ちゃんの病気が心配な妊婦はそうは思えないかもしれません.「いくら検査を希望しても正論をいわれるだけで,話をしていてもらちがあかないから,別の病院に行こう」と考え,病院をハシゴする結果になるだけです.
NIPTの遺伝カウンセリングで正確で適切な情報と,ときにはきびしい現実をわれわれは指摘し,女性と真正面から向きあいます.それを「当事者である妊婦に寄り添っていない」と批判するのは自由ですが,われわれはサービスで耳当たりのいいことをいいませんし,それで利益を追い求める者でもありません.
われわれは産科医として,助産師看護師として,認定遺伝カウンセラーとして,当事者がどんな決断をしようとも,それを最後までケアをし支えます.選択的中絶のあともですし,ときにはそのあとの妊娠分娩もケアすることもすくなくありません.真の「寄り添う」とはなにを意味するのか考えていただければ.
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