技術のもたらす「可能性」と「現実」のあいだにあるもの

技術のもたらす可能性が、もっとも有効な形で実現するのは軍事技術の領域です。原子力の登場も、半導体工学の進歩も、コンピュータの登場も、その段階その段階で戦争の組織と武器をかならず一変させていきました。そして今回のロシアウクライナ紛争でも、そのことをわれわれは目の当たりにしています。

GPSやAIやドローンといった技術が、戦争の領域ではその可能性が最大限現実化されています。これは戦争が技術の進歩に貢献したということではなく、いつの時代でももっとも気前のよい研究開発費の支給と、気前のよい消費にありつくことができるのは、常に軍事技術であるという事実の表現にすぎません。

われわれが自分の車に乗って、ナビをたよりに買い物や食事や観光ができるのも、巡航ミサイルカリブルや、高機動ロケット砲システムハイマースを敵標的に誘導しているGPSの働きのあいまあいまに、ちょっとしたスキマ機能を使わせてもらっているにすぎません。いわば戦争の余沢です。

GPSとAIによりピンポイントに誘導される巡航ミサイルと、年間何千人もの事故死をだす旧式ガソリン車とのあいだの差。あるいは防空レーダーの電波の逆探知で瞬時に位置を割出し誘導ミサイルで敵防空システムを無力化する攻撃と、われわれがいつもトラブルで振り回されるキャッシュレスサービスとの差。

軍事技術が無視できる唯一のものは「採算」なのです。このことは技術のもたらす「可能性」と「現実」のあいだにあるのが「経済」であることを否応なく気づかせてくれます。技術の可能性と、経済を媒介にした社会的現実化との関係については、やはりマルクスによる分析がもっとも的確だといえるでしょうでしょう。

技術のひらく可能性が、想像もつかなったこの陰惨な現実をどのようにみちびいたかを見きわめるのに、技術と社会的経済過程との関係をきびしくみつめたマルクスの方法は、150年をへた今日でも有効です。たとえばiPhoneの毎年のバージョンアップは、われわれの幸福の実現とはまったく関係がないのです。

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