実現された無政府主義における社会
「所有せざる人々」のなかにはさまざまなドラマがあって,いろいろな視点から作品を語ることができますが,もっとも興味ぶかかったのは,主人公シェヴェックが生まれ育ったアナレスの社会でした.ウラスの資本主義社会と決別した,「オドー主義」とよばれる一種の無政府共産主義者たちが建設した理想社会です.
そこではいっさいの私有が廃止されています.政府や法律もありません.ひとびとは各自の興味や才能,力にしたがって労働し,各自の必要に応じて食料や衣類を受けとります.職業別の「シンディケート」という生産協同組合に所属するか,「労働配分局」で希望にマッチする仕事を紹介されて働きます.
シンディケートや生産労働にたずさわる個人を調整するのはPDCとよばれる機関で,物事の管理運営と労働および物資の配分を調整するコンピュータが,労働シンディケートの中核となる役割をになっています.ここでは選挙で選ばれた人間が再任なしの5年の任期で働いています.最小限の行政機構としての役割をはたすものです.
オドー主義の共同体には作業場,共同住宅,寮や寄宿舎,学習センター,公会堂,物資集配所,食堂などがあります.食事は食堂でとり、必要最小限の衣類といった私物は物質集配所でもらう.共同生活をし,セックスに関するプライバシーだけは認められますが,それ以上のプライバシーは非実利的とみなされています.
最大の美徳は利他的行為と自己犠牲であり,「不当利得者」が侮蔑の最たる対象です.「所有せざる人々」とは無産市民であるアナレス人の別名なのです.男女関係もきわめて自由で,結婚という制度はなく,自発的にうまれるパートナーシップがうまくいっているあいだは続き,そうでなければ解消されます.
すなわちオドー主義というのはマルクスが考えた共産主義のもっとも高次の段階,いやむしろバクーニン=クロポトキンの無政府共産主義に近いものといえます.実際にはマルキシズムのまえに政治的に敗北したアナキズムが,もし人類の歴史で実現していたらいかなる社会だったかの物語として読むことが可能です.
マルクスは,共産主義社会では1日4-5時間の労働でじゅうぶんな生活がおくれ,余暇で豊かで芸術的な人生が実現すると予言しましたが,アナレスはほぼそれにちかい社会です.小説中でアナレス人は「ユートピアに住む飢えたひとびと」とウラス人に揶揄されますが,物質的にはともかく精神的には豊かでした
シェヴェックが病気で入院したとき,ある人物が「この病院の医師のなかには1日8時間も働いているひとがいるのよ.献身的行為ね」と,なかば感心,なかばあきれる場面があって,わたしは思わず苦笑しましたが,どうやら医者ですら長時間労働から解放される社会がアナレスでは実現できているようです(笑)
この実現された「ユートピア」でも,人間の集まるところには友情や信頼,恋愛や献身があり,他方では嫉妬や憎悪,いじめやうらぎりといった個人的なドラマには事欠きません.シェヴェックも母親との別離,友情,出会いと子どもの誕生,そして物理学シンディケードのなかでの権力支配などに苦しみます.
理想社会と思われたアナレスでも,生産や配分調整といったやむを得ざる中央集権から権力や支配が生まれることは,移住者自身が当初から気づいていて,不断の監視をもってそれに対抗してきたのですが,移住して170年もたつとその弊害が目立つようになり,社会のひずみとしてあらわれてきます.
アナレスとウラスのあいだにはほとんど交渉がありませんでしたが,シェヴェックがその禁をやぶってウラスに旅立ったのもそれがきっかけでした.われわれが夢想としてかたづけるアナーキズムの理想社会の姿,そしていずれ生じるかもしれない限界をル=グウィンは無限の想像力によって描きだしたのでした.
人間にとって理想社会はどうあるべきか.「所有せざる人々」の星アナレスと「所有主義者」の星ウラス.そのあいだの壁を取りこわしたい,人間としての連帯感がほしい,自由な交流がほしい,そういったシェヴェックの思いがどうなっていくのか.この小説の主題はそのあたりにあるように思います.
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