性急に結論を求めず不確実さとともに生きる
21世紀の医学は「正解がある」と信じられている時代です.だからその正解を学んでマスターしたと信じるひとが,その分野の指導的な役割をやっています.そういったひとたちにとってわかっているのは当然のことであって,それにたいして「わからない」というひとはやっかいな存在かもしれません.
わからないと思って自分でものを考えると,「なんだそれは」とへんな顔をされます.「正解」の有効性を信じるひとたちにとって,ふまじめでおもしろくない考えなのかもしれません.しかしわからないと思うのは事実なのであり,そのわたしが自分なりにわかろうとしてもいいのではないかと思うのです.
もしかしてわたしたちにとって,わけのわからないことやどのように手を下したらいいかわからない状況というのは,いちばん耐えがたいことなのかもしれません.わからないことが目の前にあると不安でしかたがなくなりますが,わたしたちの心というのはもともとそのようにできているものなのでしょう.
だからわけのわからない,解決の道筋がまったくみえない問題にぶちあたったとき,適当につじつまをあわせて強引に終わらせようとしたり,解決の方法がありそうな問題にすりかえてしまうことはよくあることです.そんなときにもっとも役に立つのが「指針」とか「ガイドライン」というものなのです.
もともとわたしたちの人生には,そういったどうしようもない,とりつくすべもないことがらに満ちあふれています.わかりやすく,解決の方法があるような問題のほうがすくないといえます.そういった答えのない宙ぶらりんのなかを生きています.ところがその一方で,そもそも疑問をもたないひとも多くいます.
そういった本質的問題には興味なく,それをあたりまえとしたうえで大学とかアカデミアでどう生きていくかに専心するひともいます.あるいはとにかく勉強してそれを「覚える」ことをめざすひともいます.だからそういった「不安」にぶちあたっているひとは,むしろその真摯な生きかたを誇っていいのです.
性急に結論めいたものを求めず,不確実さと懐疑とともに生きていけるか.わからないこと,解決できない不安を,それはある程度はどうしようもないこととして受け入れながら,そういった宙ぶらりんのなかで強く生きていけるか? そういった力というのは現代ではとてもたいせつなのではないでしょうか.
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