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胎児手術をはじめたころ

一卵性双胎の多くは,双子がひとつの胎盤を共有する「一絨毛膜双胎」という状態になります.共有している胎盤でつながっている血管(吻合血管)をとおして,たがいの血液が両方の胎児の間を行ったりきたりしています.通常はバランスがとれているのですが,このバランスが崩れたとき「双胎間輸血症候群」という病気が発症します.血液が余分に増えてしまう胎児も,血液がとられて貧血になる胎児のどちらも具合が悪くなり,進行すると亡くなってしまいます.

そこで母体に麻酔をかけ,腹壁をとおして子宮内に細いスコープ(胎児鏡)を挿入し,胎盤上に無数に分布している血管から両児のあいだをつなぐ吻合血管を選びだしてレーザーで凝固焼灼する治療法をおこないます.この手術を「胎児鏡下胎盤吻合血管レーザー凝固術(FLP)」と呼びます.いくつかある胎児手術のなかで代表的なもので,もっとも成功している手術でもあります.FLPが国内で本格的にスタートしたのが2002年で,しばらくは高度先進医療としておこなわれましたが,2013年から保険適応になっています.国内では10か所程度の大学病院や周産期センターでおこなわれいます.

わたしがFLPを最初におこなったのは2007年で,国内ではたしか5か所目と記憶しています.それ以前にフロリダの有名な施設で1週間のあいだに4件のFLPを見学した程度でした.最初のFLPのときは国内で先にはじめていた知人にいろいろ教えてもらい,その後も適宜指導をあおぎながら,2回目以降は基本的にはひとりでやることになったわけです.

この未知の手術を,そのときどき自分が判断し自身の技量で切りひらいていくというのは,ほんとうにストレスフルでしたし,いまでもそうです.手術中に突発的な事態がおこったり,執刀途中でにっちもさっちもいかない状況に陥ることがままあり,執刀医にはパニックにならない強いメンタルが要求されます.

なかにはこういった状況をある意味楽しみながら取り組めるひとがいて,こういったタイプこそまさにメッサ―にふさわしい人間ですが,自分自身はまったくそうではありません.基本的に気が小さく臆病な人間で,ひとには笑われるのですが,手術前夜からの緊張は尋常ではありません.なんど後悔したことか.

ただ一度手術がはじまってしまうと,そんなことを考える余裕もなく必死にならざるをえないので,それで毎回なんとか乗りきっている感じですね.だれも頼るひとがおらず,自分ひとりの責任においておこなった最初のFLPのときが人生でもっとも緊張しました(スキーで横倉の壁を滑走したときが2番目).

FLPの経験さえこなせば手慣れてしまって,そういった緊張感がなくなるかと期待していたのですが,150例をこえるくらいのいまでもあまりかわっていないように感じます.手術がたいへんだったときも,スムースに終了して会心のできだったときも,逆に終わったあとの疲労感は半端がありません.

当院でのこの手術は月に1回弱と多くはありませんが,その都度多量のアドレナリンが分泌されるので,自分がやっているうちはまだ現役という感覚があります.しかしこの胎児手術を国内に導入し定着させたわれわれ第一世代はそろそろ引退で,つぎの世代に手術手技を教えながら執刀者を交代しつつあります.

多くの経験にもとづいた指導により新しい手術を体系的に手術を学べる若手をうらやましく思います.しかし一方で,いかにささやかなものとはいえ,ゼロに近いところから切りひらいて胎児手術を確立させられたことは,自分の人生にとって限りなく貴重な経験だったとも感じているのです.


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