家庭科の授業ってどうなってんのかな

家庭科の授業が嫌いだった。社会人になった今、思い返してもやはり好きになれない。

得手不得手が主な理由ではない。料理は当時こそさっぱりだったが、今は普通に自炊ができる。裁縫は未だに下手だが、だからといって何というわけでもない。ボタンくらいつけられれば不便はしない。服もそんなに頻繁に破けるものではない。

それではなにが嫌だったかと言われると、「家族たるものかくあるべき」的なものを押し付けられる授業内容が気にくわなかったのだ。

中二の頃に、豚汁を作る授業に入った。調理実習の前に、課題が渡された。

どの家でも豚汁を作るときに、絶対に隠し味とか、こだわりとか、裏技があるから、それを調べて書いてきてね」とのことだった。

帰宅し、母親に「豚汁作るときのコツとかなんかある?」と聞いたら「そんなもんない」ということだった。にべもなさすぎるが、毎日見てればそのくらい知っている。親は大して料理がうまいわけでもないので、豚汁にコツもなにもないだろう。
もちろん時代も時代で、クックパッドもキュレーションサイトもない。答えを得られる手段はここで閉ざされてしまった。

そんなわけで授業当日。持ってきた答えに自信のある何人かの子たちは「家族の味」を披露し、教室を賑わせていた。
対して、なにも中身のないまま課題を提出した私は、見事にバツをもらうこととなった。サボったわけではない。本当になにもなかっただけなのに……。

これってめっちゃ理不尽じゃ~~ん!!

家庭科の先生は、自分が料理できるからってそれをどの家庭にも当てはめてるんじゃないか?
どうして親や家庭の有りようによって私の成績が決まらなければならないのか?

ガキながらにそう考えて以来、家庭科が嫌いになった。そしてそれからも何度か、家族の力を借りて行う課題は存在した。その度に私は芳しくない点数を頂き、家庭科に対する意欲はまるでなくなっていったのだ。

***

聞けば、今の小学校では、母の日や父の日に親の似顔絵を描かないらしい。母や父がいない家庭だってあるからだ。
どんな家庭にだってそれぞれの形があって、それは誰にも否定されるべきではない。

先の課題に戻るが、結局「家族それぞれの個性」を探る目的なのだろうと思う。
「先に具材を焼いてから作る」とか、「ウチはエノキとシイタケとマイタケ入れちゃう」とか、「おばあちゃんから受け継いだ味噌があって~~」とか。
そういう特色を並べて見せることで、家族というものの多様性を見いだしたかったんだろう。

しかしそれならば、ズボラらんむろ家のように「なにもない」家のことも同様に個性として認めてあげないといけないはずだ。「豚汁なんて出ない」「飯はコンビニで買ってる」家のことも同様に。

そもそもそんな家庭の都合を勝手に採点するなど、あまりに失礼ではなかろうか。豚汁にこだわりのない家は点数が低く、先祖代々の味噌を使っておられるご家庭は満点なのだろうか?そんなわけがない。改めて考えるとよくわかる。

授業を終えた私に残ったのは、自分の家に対するモヤモヤした劣等感だった。衣食住の大事さを見直し、ともに生きることを考える家庭科の授業においてあってはならないことだと思う。
どうかこのような授業が他の場で行われていないことを願うばかりだ。

今日の夕飯はコンビニのカップ豚汁にしよう。