SNSのアプリを削除して、良かったこと
2月のnoteでスマホからSNSアプリを削除した話を書いた。
あれから3ヶ月近く経った今も、Twitter、Instagramのアプリは削除したままだ。
(Facebookは仕事で関わる方が多いので、アプリは消していないです)
その結果、変わったことや良かったことについて書こうと思う。
自分の世界が広がった
毎日、スマホでSNSを見ている時は、そこが自分の世界になっていたように思う。本当は、とても小さな世界のはずなのに。
自分の投稿の反応をすごく気にしてしまったり。SNSをぼーっと眺めた後に、自己嫌悪になってしまったり。
キラキラしている人を見ると憧れを感じたけれど、一方で自分と比較してしまい、ネガティブな感情になることも多くあった。
だけどこれらの感情は、アプリを消してから一切無くなった。
SNSのアプリを消してから、世界が広がった。
いや、世界が広がったというよりは、これまで私は自ら作り出した厄介な箱に、入り込んでいたのだと思う。
余白ができ、学ぶ時間が増えた
SNSのアプリを削除してから、自分の時間もすごく増えた。
空いた時間を使って、オンライン英会話を始めたのだけれど、これがとても良い。
実は昨年からずっと英語の勉強を頑張るといっていたにも関わらず、あまりしっかりと勉強できていなかった。
でも、今までSNSに割いていた時間を学びの時間に変えることで、楽しく英語の勉強をすることが出来ている。
そして、毎日学んで前に進んでいるという感覚が、自己肯定感を大きく上げている気がする。
毎日の生活の中で、この「前に進んでいる感覚」はとても大切。特にネガティブな気持ちになった時ほど、この感覚を持っておくと良いと思う。
必要以上に自分を良く見せようとしなくなった
一時期、Twitterを頑張ろうと試みていたのだけれど、その時は必要以上に自分を良く見せようとした。
写真を撮る時はSNSにアップするから綺麗に撮ろうとしたり、このような表現の方が反応を得られやすいんじゃないか?と試行錯誤したり。
何だか他者目線になっている自分に、物凄く違和感を感じたし、気持ち悪いとさえ思った。
もちろん時には、他者目線の発想も必要だと思う。
そうではなくて、私が最も問題だったこと。それは自らの言動の根底に、目標や目指すべき姿を描けていなかったからだと思う。
「発信力を付けた方が良い」という世の中の流れに合わせて、何となくやっていたのだ。
それはまるで、「資格を取っていた方が有利だから」という理由で、資格の勉強をすることと同じ。
目指すべき姿が無ければ、それらの努力はあまり意味のないものになってしまう気がする。
まとめ
私は、SNSを辞めることが良いことだとは、一切思わない。
大切なのは、自分の言動の根底に、目指すべき姿があるか?ということだ。
世の中の「こうした方が良い」に自分を合わせるのではなくて、自分の「目指すべき姿」が何か?ということを常に考え続けたいなと思う。