おばはんの秘密
誰かの役に立つかもしれないのでメモ程度だが書いておく。
上2人の子供達が幼稚園、小学生になったころ。
一般的には少し手が離れて自分の時間が持てるようになった頃、主人の仕事の関係で引越しを伴う転勤があり新天地に住んだ。
その手続きに追われた後、ようやく落ち着いたので新しい仕事を探そうとしていた。
何故だか毎日異常な眠たさが襲ってきた。
引越しの疲れだろうと、深く考えなかった。
ひたすら眠たく、疲れていた。
しばらくすると疲れすぎて眠れなくなった。
眠たくて疲れているのに眠れない。
しんどい。
しんどくて身体が動かないが、幼稚園のお迎えや習い事の送迎には行かなければならない。
無理やり動く。
しかし身体が日々動かなくなる。
おかしいと思い始めたのはこの頃。
お風呂に入れなくなった。
汗をかいて気持ち悪いのに身体が動かずお風呂までいけない。
そして眠れない。
布団に入ると、涙が出てきてとまらず、死にたい、死ななければと思い始めた。
まるで誰かが四六時中耳元で死ねと囁いているようだった。
身体が動かないのでひたすら目をつぶって家の中の間取りを思い出し、ロープが引っかかりそうなところを考えた。
身体が少し動く時は、スマホでいかに楽に、かつ確実にいける方法を検索し続けた。
こう書くと残される子供や家族の事を考えなかったのかと思われるだろう、しかし考えた上で自分はいなくなったほうがいいと心から思ったのだ。
何故か分からないがその方が良いという確信があった。
では何が実行しない理由になり得たか。
身体が動かなかった事だ。
皮肉なことだが、不調が進んだことが自殺を妨げた。
この後、数年に渡りこの不調は続いたし消えたいという願望は消えることが無かった。
余談だが、死にたいというより『消えたい』『自分という存在が最初からなかったことになってほしい』という気持ちの方が当時は大きかった。
だから自殺予防センターのようなところに電話相談しようとは全く思いつかなかった。不思議である。
少し身体の不調がマシになったころ、相談電話サービスにかければよいのでは?と思いつきさかけてみたが何度かけても話し中か誰も出ず、諦めた。
ではどうやって今、この願望を解消したのか。
結論としては、出来ていない。
しかし、そのために実行した事が2つある。
それは、自分がいなくなった後のシステム作りのマニュアルを作った。
どこに何があり、何曜日は誰をどこに連れて行くか、弁当を作らないといけないか、など事細かに記したノートを作った。
これは子供らが学年がかわったり成長するごとに毎年更新が必要である。
自分がいなくなっても当分は大丈夫である。作り上げた時ものすごくホッとした気持ちになったのを覚えている。
もう一つは自分の私物の処分だ。もしいなくなった後遺品として見られたくないものを始め、細かいものをすべて捨てた。何年にも渡って。自分の写っている写真は処分、貴金属は現金にかえ、なるべく手元にないようにした。
家族は気づいていないが、今も私のものだけ家の中に異常に少ない。
不思議なことにいつ死んでも大丈夫と思うことで心が少し楽になっている。
今現在も進行形で願望は持っているが、少しづつましになりつつある。
引き出しの奥にあるロープをたまに取り出し眺めながら、いつ実行しても大丈夫、いつでも出来ると考えると安心感が心に広がり、結果安定につながっている。
誰にも言えないのでここに書いてみた。
誰かの役に立てれば幸いである。
決して願望を実行に移す事を推奨している訳ではない。
でも無理に覆い隠すことが出来ないなら、このような形で安定につなげる事が出来るという事を知っておくことも誰かの役に立つのではないだろうか。
きっといつまでも悩むし、家族にも言えないだろう。
この記事に吐き出す事によって引き出しにしまい込んでいきたいと思う。