0 → 1 と 1 → ♾️ の違い
十一月、僕の誕生日の日も含めて約ニ週間、日本からわざわざヨーロッパまで祝いに来てくれた友達がいた。
彼(以後 相棒)はフランス語を話せるスマートな人だ。相棒とは、この二週間でアイルランド、北アイルランド、フランス、オランダの四ヶ国を巡った。その中で、お互いに積もる話をしたり、なんでもない話もした。
最終日の前日になって、相棒が気付いた僕の欠点を話してくれた。その時僕は、ある人(Sさん)から貰った言葉を思い出した。
Sさんは、一年程前に僕宛に手紙を差し出してくれたのだ。その中の一文を今でもはっきりと覚えている。なぜなら僕の本心を突かれる言葉だったからだ。
「物事の表面だけを知ったことで、全てを知った気になってはいけないよ。」
この言葉が僕の心(核)に刺さったのだ。
それもすごく強く。
〜相棒との話に戻る〜
そして相棒との話を僕なりに解釈した結果、今までの僕は 0 → 1 の経験を求めるあまり、1 → 2,3,4.... の追求をどこかで疎かにしていた気がする。というのも、一度の経験だけで物事を見極めようとしていたからだ。今現在もそれを感じる瞬間はある。
実例を挙げると、行ったことの無い国へ新しく行くとした場合、その国の一部分に少しだけ滞在しただけで、その国に行った事実のみを受け取り、知った気になるのだ。それが悪いことでは無いのは知っているが、経験として誇れるような良さはないと思う。
だからこそ、何度も同じ場所へ足を運ぶことで知れる新たな発見だったり、経験を逃すことになってしまうのだから。これが 1 → 2,3,4...といった物事の追求ができるチャンスだと思う。
1 をたくさん持ってることも素晴らしいとは思うけれども、一つのことだけでもいいから追求することを心掛けることを目指したいと今では思う。
確かに、0 と 1 の違いは大き過ぎると言っても過言ではないと思うが、それに固執してしまうことは勿体ないと相棒から教わった僕は新たに自分自身を高められる気がしたから、なんだか嬉しかった。
自分の本質を突かれるようなことを言われた瞬間は落ち込んだが、それと同時に感謝の気持ちが芽生え、「教えてくれてありがとう。」と相棒には伝えた。
とにかく相棒には、ヨーロッパに足を運んでくれたこと。フランスを案内してくれたこと。誕生日を相棒の特別な場所で祝ってもらえたこと。
シンプルだけど、「ありがとう」と伝えたい。
相棒、ありがとう。