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「僕は、小説を書きたい。」


久しぶりに。


 久しぶりに、noteに何か書いてみようと思った。

 なぜ、今日なのか。ずっと書けていなかったのに。月末で、大きな仕事を半分ほどまで仕上げることができ、少し気持ちが落ち着いてきたということもあるだろう。あるいは、35年ぶりの皆既月食を見たからなのかもしれない。

 最近は、店頭のカウンターに整然と並ぶような、ロジックで磨き上げた利口なコンテンツばかりを書いていて、「自由に何かを書く」ということから、ずいぶんと離れてしまっている。

 毎日、数千字くらい、何かしらの仕事の原稿を書く。実にさまざまな話題の原稿を書いている。何らかのビジネスの比較コンテンツであったり、とあるサービスをレコメンドするコンテンツであったり、企業のPRコンテンツであったり、そんな記事だ。

 東京を1年半ほど前に離れ、コンテンツマーケティングライターとして、フリーランスで活動を初めて1年と少し経つが、仕事の量はずいぶんと増えた。それに伴って、生活も安定したものになってきた。

 東京では電車通勤だったが、地元に戻って車に乗るようになり、生家に事務所を作って、静かに寝起きして仕事ができる環境を整えることができた。

 足が悪くて寝込んでいる父親と暮らしを共にし、荒れ始めていた生家を維持し、月に2回は神棚を整え、犬猫の世話もすることができるようになった。祖母と母親の住む家には、月に1度くらいのペースで顔を出し、先日は義父の3回忌も無事に終わった。

 好きなときに好きな場所へ行ったり、会いたい人に会ったり、食べたいものを食べたり、欲しいものを買ったり、余った分は貯金をして、ある程度自由のきく暮らしになりつつある。

 ふつうの暮らし。

 そう、これがきっと、ふつうの暮らしなのだ。

 これまで、あまりにも浮き沈みの激しい暮らしをしてきた自分にとって、ふつうの暮らしというものがどれほど貴重なことなのかということが、今はとてもよくわかる。

 今の暮らしでは、わけのわからない、理不尽なことはひとつも起こらない。

 突然のトラブルに巻き込まれたり(本当にツいていない時期があった)、やるべきかどうかもわからない仕事に頭を悩ませたり(よくあることだ)、二度と会いたくないような人間のご機嫌を取ったり(これもまた、よくあることだ)、前も後ろもわからなくなるくらい酔っ払ったり(僕は決してアルコール依存症ではない)、誰かがボコボコに殴られているところに呼び出されたり(幸いにして、僕が殴られたことはない)、ヒステリックな女性と朝まで絡み合ったり(なぜあんなことになってしまったんだろう)、脱法ハーブを突然持ち出す輩と会ったり(あの人は今でも元気にしているのだろうか)、カジノに付き合いで行かなければならなかったり(僕はだいたい、ゲームを見学しながらカレーか天ぷらそばを食べていた)、ヤクザのようなおじさんの鞄を持ったり(いろいろな学びはあったが、本当に怖い人だった)、誰かがいきなり死んだりするようなことは、今のところ起きていない(少なくとも、今のところは)。

 今思えば、東京での暮らしは、ほとんどフィクションだったんじゃないかと思う。それくらい、わけのわからない理不尽なことがたくさんあったし、毎日を生き延びるので精一杯な時期のほうが長かった。

 しかし、だからこそ、というべきか。

 何か、別の場所を求めている自分もいるのだ。たどり着くべき場所へたどり着いた、という安堵感と共に、次の目的地を求めている自分がいることを、最近はひしひしと感じている。

 遠い場所。ここではないどこか。

 しかるべき時、しかるべき瞬間にしか出会うことのできない何か。

 そんな何かを、僕は求めている。


2018年1月25日、僕は「遠い太鼓」の音を聴いた。


 それは、とても奇妙な夢だった。

 空港に降り立つと、そこにはたくさんの人たちがいた。飛行機は、僕が今まで見たことのないような、流線型の未来的なフォルムをしていた。道行く人たちも、半透明で巨大なローブのようなものを着ていて、これまで見たことのないようなルックスの人ばかりだった。

 広いロビーを歩いていると、鏡があった。なんとなく、自分の姿をみる。すると、驚くことに、僕の全身が緑色なのだ。身体中の皮膚が、緑色に変色している。着ている服装も、鮮やかなエメラルドグリーンで、これはいったいどういうことなんだろう、と思った。

 僕は恥ずかしくなって、どこかに隠れたい気持ちになったけれど、周りの人は気に止める素振りもない。それどころか、僕と同じような緑色の皮膚の人が何人かいた。皆、おだやかな印象の人たちばかりだった。

 僕は次の便の待ち合わせのために、空港のロビーの椅子に座って順番を待つ。何かトラブルがあったらしく、まだ次の飛行機は来ない。

 鮮やかなエメラルドグリーンの、見たこともないような服装に身を包んだ、緑色の皮膚をした僕は、ロビーで道行く不思議な姿の人たちのことを見送りながら、時間をつぶす。

 ふと、「パスポートを持っていないのではないか」と思って、不安になる。

 そして、目を覚ました。

 2018年1月25日に見たのは、実に奇妙な夢だった。今でも、鮮やかな緑色の皮膚をした自分のことを思い出すことができる。あれは本当に夢だったのだろうかと思うくらい、現実的な感触を僕の心の中に残した。


 目覚めるともう昼前で、すぐに仕事に取り掛からなければならなかったのだけれど、奇妙な夢の余韻もあって、仕事の記事を書くことに集中することができず、村上春樹氏の「遠い太鼓」を読んだ。

 「遠い太鼓」は村上春樹氏のエッセイ集で、1986年の秋から、1989年の秋までの3年間の海外生活での出来事が綴られている。そして、村上春樹氏はこの時期に、2編の小説を書いている。ギリシャ〜シシリー〜ローマの旅路の中で「ノルウェイの森」を書き、ローマ〜ロンドンの旅路の中で「ダンス・ダンス・ダンス」を書いた。

 村上春樹氏の小説、「ダンス・ダンス・ダンス」は僕にとって、とても特別な小説である。なんとなく、自分の今の生き方に通ずるものを感じるのだ。この本に出会ったのは、もう10年以上前のことだが、その当時から、いつか僕もこの小説の主人公のように、どこかに向かいたいと思うときがくる、と思っていた。

 そして、僕は今年で34歳になる。

 奇しくも、「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公と同い年になるのだ。


 「ダンス・ダンス・ダンス」では、最終的に主人公が自らの宿命にケリをつけ、愛する人を見つけ、自分のための文章を書いてみたいと心に決める。


 僕もそろそろ、自分の宿命のようなものと向き合わなければならないような気がしている。現実世界においては、その方法はつまり、自分の納得のいく小説を書く、ということになるのだと思う。

 ずっと、こんな気持ちになるときがくるような気がしていた。昨年にnoteで連載小説を始めようとしたけれど、挫折をしている。しかし、なぜ挫折をしたのかが、僕は今はっきりとわかる。

 昨年までの僕はまだ、自分の宿命のようなものと向き合う覚悟ができていなかったのだ。どこかで、人目を気にしていた。SNSを意識して、バズるようなものを書きたい、なんて思ったりもしていた。とにかく「読まれたい」という想いが強かった。でも、小説というものは(これは、僕が求めている小説という意味である)、本来、人目を気にしたりして、売れるために書くようなものではないのだ(金が欲しいならば、他の手段で充分に稼いでいけるのだから)。もっと、心の奥底で真っ赤な目を光らせている、どうにもならないようなもの(あるいは魔物のようなもの)と向き合い、心の鏡の中に映るものを丁寧に書き記していく、ある種の儀式的な行為なのだ。そしてそれは、あらゆるものを度外視して行うべき行動なのだ。報いを受けようなどと、思ってはいけない。ひたすらに暗い洞窟をまっすぐに歩んでいくことなのだ。

 年齢的にも分水嶺を越えようとしている今、いよいよ、ずっとやり残していた大仕事に取り掛かる準備をしていかなければならないということを、僕は強く実感している。

 そして、その狼煙を上げるために、ここではないどこかに一歩を踏み出す、儀式めいた行動が必要であると感じる。

 まずは今年中に、「ダンス・ダンス・ダンス」が生み出された場所にひとりで行ってみようと思う。ローマ、そしてロンドン。

 これは、単なる旅行ではない。大げさかもしれないけれど、僕にとっての「いるかホテル」的な何かが、そこにあるような気がするのだ。何かを見つけるために僕はそこに行かなければならないのだと思う(少々酔っ払ってきて、ずいぶんと突っ走った文章になってきたような気がする。まあいいか)。

 あるいは、そこには何もないかもしれない。歴史的な建造物を見て、美術に触れて、美味しい料理を食べて、それで終わりかもしれない。でも、それでも良いではないか。

 僕が今、求めているものは、自分自身の人生に対するロマンである。それは、何者にも侵されることのない僕自身の物語であり、途切れることのない好奇心の源泉なのだ。

 僕の意識が世界のどこかとつながっているかもしれない、ということを考えるだけでもわくわくする。そして、僕はそれを、小説を書くことによって体験し、文章によって自分の信じる世界の理を再構築してみたいのである。

 小説を書くことを求めることはもはや、僕にとってはライフワークのようなものとなった。そして、小説ひとつで世界を変えることはできないかもしれないことなど、充分に理解している。でも、それでもかまわないのだ。僕が小説を書くことを求める限り、僕の物語は続いていく。

 そしていつか、僕が思い描く世界の理を、文章へ変換できたときに、何か新しい展開が待っているとしたら、そんな幸福なことはない。


 ずっと、小説を書きたかった。でも、できなかった。

 そんな想いが、僕を今でも書くことに駆り立て、ついにはフリーランスライターで飯を食うことになってしまったのだ。そして、「文化的雪かき」の仕事はずいぶんとうまく回っている。でも、それは過程であって、まだゴールではない。僕はまだ、どこにもたどり着いてなんかいない。

 僕は、小説を書きたい。


 ここまで、酔いに任せながら書いた文章を読み返してみると、なんとも一生懸命な感じである。閑話休題、という感じである。でも、正直で良いではないか。

 ちなみに、僕は太宰治先生が大いに好きだ。特に、先生の酒を飲んで書いたやけっぱちの文章みたいなものが好きで、大学生の頃はよく読んでいた。ここに書きなぐっている文章もまた、いかにもやけっぱちで、それはそれはどうも、どうにか頑張りなさいな、まあ、どうなるかわからないけれどね、なんて、他人事のように思ってしまう自分もいる。太宰治先生のお墓は三鷹にある。過去に2回ほど、お参りにいったことがある。久しぶりに、行ってみたいような気もする。酔っ払った勢いで、線香のひとつでも上げたい気分である。当の先生には、迷惑がられているかもしれないけれど。

 カティサークをロックでぐいぐいと飲みながら書いたので、もしかしたら誤字脱字があるかもしれない。でもまあ、それはそれで仕方がない。今は2月1日1時51分である。しかしその後、2時30分になるまで律儀に読み返している自分がいるのが笑える。

 あっという間に2018年も1月が終わってしまった。このままでは、僕の人生は文化的雪かきを続けるままで終わってしまう。もちろん、お金は大事だ。稼げることは尊いことだし、もらえるものはありがたい。しかし、だからといって、今のままで満足していてはいけない。


 僕は、小説を書きたい。

 僕はまだ、どこにもたどり着いてはいない。

 物語はまだ、始まってすらいないのだから。



狭井悠の過去小説は、以下のポートフォリオサイトから無料で読むことができます。興味のある方は、ぜひチェックしてみてください。

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村田悠輔 a.k.a 狭井悠(Sai Haruka)profile

三重県出身、立命館大学法学部卒。二十代後半から作家を目指して執筆活動を開始。現在、コンテンツマーケティングのフリーランスライターを行いながら、作家・日本語ラッパーとしての活動を行う。

STORYS.JPに掲載した記事
『突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。』
が「話題のSTORY」に選出。Yahoo!ニュースに掲載される。

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