【連載詩集】No.25 理解についての散文。
~ まずはアンチテーゼから ~
人に理解されることを求めてはだめだ。
☆phase 1
痛み、苦しみ、悲しみ、あるいは悦び、楽しみ、おかしみ。
人が人に理解を求めたとき、人は120パーセント絶望することになる。
それは、つるつるとした茹で卵の完成を待ち焦がれ、願い、求めながら、
電子レンジに生卵を入れて、スイッチを押すようなものだ。
そして数分後には、弾けてくしゃくしゃになった卵の残骸と対峙する。
Il faudrait les inventer
ぜひとも鉤(かぎ)を作らねばならんのさ
☆phase 2
人に理解されることは、ほとんど幻想に等しいこと、
あるいは天文学的確率の奇蹟であると心得るべきだ。
それは、たとえば地球に隕石が衝突するのを願うことに似ている。
2029年、小惑星アポフィスが地球に衝突するかもしれない。
2030年、わたしたちは誰かに理解されるかもしれない。
そういうことだ。
J'ai vu l'ombre d'un cocher, qui avec l'ombre d'une brosse frottait l'ombre d'un carrosse
わたしはブラシの影で、馬車の影を磨く、御者の影を見た
☆phase 3
結論、人が人に理解を求めることは難しい。
では、わたしたちはなぜ、日々を浪費しながら、
わざわざ、理解されることも叶わないような人々を前にして、
それでも、理解されることを理想として接するのか。
それは、わたしたちが、元はひとつの存在だったからである。
わたしたちは、その昔、丸い卵のように、ひとつだったのだ。
しかし、残念ながら、わたしたちはもう、ひとつではない。
ふたつに別れてしまったわたしたちは、ひとつにはなれない。
あなたは、こんなにも近い。
でも、どこまでも遠い。
電子レンジの中に入れた卵は、無残に弾け飛ぶ。
理解を求め、絶望し、また理解を求め、深く沈む。
それでも、わたしたちは理解されたい、わかりあいたい。
いつか、ひとつに戻れるときを信じている。
☆phase 4
人に理解されることを求めてはだめだ。
しかし、わたしたちは生き続ける限り、その僅かな願いを捨てない。
それは、たとえば地球に隕石が衝突するのを願うことに似ている。
2029年、小惑星アポフィスが地球に衝突するかもしれない。
2030年、わたしたちは誰かに理解されるかもしれない。
そういうことだ。
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