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ムラタの未来を担う!中堅社員の『半生と反省』|#2「感情は、変化率だ」

こんにちは!村田製作所の広報担当です。

今回のムラタのnoteは、中堅社員インタビュー企画の第2弾!
ムラタの将来を支えるひとりとして大活躍中の社員に、幼少期をはじめ学生時代から自身の半生を振り返ってもらい、失敗や挫折の経験を経て得たもの、そしていま大切にしているマインドを深堀りしていく企画です✨

👇第1弾はこちらから

第2弾は、ムラタの医療・ヘルスケア事業部でソフトウェア開発を担当する山元(やまもと)さんにインタビューしてきました!

横浜のみなとみらいイノベーションセンターに勤務する山元さんは、一体どんな方なのでしょうか?👀 その人柄に迫ります!

わんぱくな子ども時代は少年野球に熱中!


ー山元さんはどんな子ども時代を過ごしていましたか?

滋賀県湖南市の自然豊かな町で生まれ育ちました。
とにかく外で遊ぶことが多く、2歳上の兄や近所の友達と走り回ったり、川遊びをしたりと、とにかく元気でわんぱくな子どもだったように思います。

兄と自宅庭で遊ぶ1歳半ごろの山元さん(右)

小学2年生からは兄の影響で少年野球を始め、県大会で優勝を狙うようなチームだったので野球漬けの日々でした。休日も早朝から夕方まで練習があり、帰宅するまで食事をとれないことも多く、いつもお腹がペコペコだったことを覚えています。
コーチは怖くて練習も厳しかったのですが、不思議と辛かった記憶はなく、楽しく野球に打ち込んでいましたね。

野球もそうですが年齢が近い兄へのライバル意識が強く、ごはんやお菓子は必死に兄と同じ量を食べていました。そのせいで小学生時代は一時期ぽっちゃりしていて、走ることが大嫌いでした(笑)

真剣な面持ちで打席に立つ山元さん(小学6年生)


早くも人生のピーク?!文武両道を叶えた中学時代

ー中学入学後は卓球部に所属されていたんですね

はい、中高一貫校だったので6年間卓球に熱中していました。
中学3年生のときは生徒会長をしながら卓球部の部長を務め、地区大会で優勝にも輝きました。我ながら、この時が人生のピークだったように思います(笑)
生徒会長も部長も、どちらも先生からの推薦で選んでもらえたので嬉しかったですね。

ー山元さんは当時から責任感が強かったんですね。部長というポジションで苦労はありましたか?

正直、部長として苦労したことや辛かったことの記憶があまりなく…。日々の練習はもちろん大変でしたが、良い仲間に恵まれ、楽しく青春時代を過ごすことができました。

強いて言えば、部活のメンバーで馬が合わないと感じる同級生がいて。彼とどうすれば良い関係性を築けるか、という部分で悩むことはありました。私以外にも彼との関係性に悩む部員が一部いたことから、部活動全体の空気感に影響が出てしまわないように、自分なりに向き合い続けました。

その結果、高校卒業後もさらに仲が深まり、今でも大事な友人です。会社に入社後も、彼の勧めで社会人卓球部に入りました。大人になってもこうして一緒に卓球をすることができて、あの時粘り強く向き合い続けてよかったなと思います。

社会人2年目のときに出場した卓球の大会

大学は理学部に進学!物理学の奥深さに魅せられた学生時代

小学生時代から一貫して、スポーツに真摯に取り組んできた山元さん。リーダーシップを発揮し、多くの仲間たちと共に成果を上げてきました。
高校卒業後は、大学で物理の研究をするために理学部に進学されました。

―なぜ物理学を専攻したのでしょうか?

中学1年生の頃に兄から数学や理科の勉強を教わり、理系科目への興味が芽生えました。
また、担任の先生にも背中を押され、自信を持つことができたので理系の道に進みました。

そうして理系科目を学ぶうちに、「物理は理科の中ですべてを包括している学問なのではないか」と考え、大学では物理を専攻することに決めました。暗記系の科目が苦手だったこともあり、いかなる時でもその法則が成り立つという物理が輝いて見えたんです。

―どんな大学生活を送っていましたか?

大学では自由な時間とお金が欲しかったので部活やサークルには所属せず、塾講師のアルバイト中心の日々でしたね。
ただ昔から厳しい環境に飛び込んでしまう傾向があって(笑)社員の方から夜遅くまで熱い指導を受けることもありましたが、最終的にはバイトリーダーにもなることができ、なんだかんだ5年間楽しく続けることができました。


物理学研究の最前線へ!人生イチの喜びと挫折

持ち前の忍耐力と精神力で厳しい環境でも前向きに乗り越えてきた山元さんは、その後大学院へ進み、さらに本格的な研究活動に挑戦。しかし、その道は決して平坦ではありませんでした。

―大学院は違う大学を選択されたんですね

そうなんです。物理学の中でも「素粒子の研究に携わりたい」という夢があったので、その分野で最前線の研究室がある大学院に入りました。
ただ、またしてもすごくスパルタで(笑)高負荷な環境下での研究一本の生活では、楽観的な私でも相当な辛さを経験しました。

逃げ出したくなった時も多々ありましたが、大学時代の友人に支えられながら、「絶対に2年で卒業する」という強い思いを持って、なんとか卒業することができました。
厳しい環境ではありましたが、得るものも多く、自分自身が成長するためには必要な経験だったと思っています。


―大学院生活の中で特に印象的だった出来事は何ですか?

大学自体から夢に描いていたCERN*(スイス)やFermilab*(アメリカ)に滞在して研究ができたことは、それまでの人生史上、一番嬉しかったです。

一方で、研究の最前線にいる方々がどれだけすごいのかを目の当たりにし、この人たちにはどうしても敵わないなと強く感じました。感動と挫折を同時に味わったように思います。

* CERN: 欧州原子核研究機構。スイスとフランスとの国境地帯にまたがって位置する世界最大規模の素粒子物理学の研究所。
* Fermilab:フェルミ国立加速器研究所。アメリカ合衆国に所在する米国エネルギー省の国立高エネルギー物理学研究所。


―研究のために海外にも滞在されていたんですね。その中で大変だったことはありますか?

初めての海外生活で何もかもが慣れない環境の中、一人で担当しなければならない役割がいくつかありました。
その役割が達成できないと他のメンバーの研究結果に影響が出る上に、執筆予定の修士論文のためのデータも取れなくなってしまうという、まさに背水の陣という状況で…。常にプレッシャーとの闘いで、精神的にかなりきつかったですね。

滞在中は基本的に休日がなく、体力的な負担もありましたし、研究へ専念するためにアルバイトをやめることになったので、経済的な厳しさもありました。

スイス滞在中に訪れたユングフラウヨッホ


配属先は医療・ヘルスケア事業部!村田製作所が医療機器の開発?!

物理の研究一筋の大学院生活を終えた山元さんは、2018年に村田製作所に入社。
入社7年目となる山元さんの“働く姿”にフォーカスしていきます。

―なぜムラタに入社したいと思ったのですか?

社会人になるにあたっては、学生時代の研究生活で得たスキルを一定活かしながら、社会に貢献できる人になりたいと思い描いていました。
しかし、学生時代に研究していた素粒子物理は好きな学問領域でしたが、最前線で活躍する研究者のすごさを目の当たりにし、自分がこのまま研究を続けても、社会に直接貢献できるイメージは持てなかったんです。

そんなとき、実家の近くにも拠点(野洲事業所)があるムラタのことを思い出して調べてみると、製品の世界シェア率や技術力、そして社会貢献度が高い企業だと知りました。
社会貢献への想いを強く持っていた私は、ムラタの社是や社会を支える事業内容に魅力を感じ、一気に第一志望の会社になりました。


―入社後、医療・ヘルスケア事業部に配属されたときはどんな心境でしたか?

当時はムラタが医療機器事業も手掛けているとは知らなかったので驚きましたし、正直戸惑いもありました。

一方で、嬉しい気持ちもありました。医療機器に携わることで社会に貢献できると感じたからです。また、ムラタの主要事業は電子部品ですが、自分が研究の中で身に付けたスキルセット(C言語やC++言語でのコーディング*)からソフトウェア開発に携わりたいという想いがあったので、その部門に配属されたことは素直に喜んでいました。

*C言語やC++というプログラミング言語を使ってコンピュータに指示を与えるためのプログラムを書くこと。さまざまなソフトウェア開発に必要な能力。


―配属先の部門で働き始めて、どんなことを感じましたか?

会社全体で品質意識の高さと技術的なこだわりの強さを感じることが多かったです。
それを顕著に感じたのは開発したソフトウェアのレビューの場であり、参加者全員が長時間をかけて熱く議論を交わす姿が入社当時の私にはとても印象的でした。

また、医療機器に携わるという点でもすごく身の引き締まる想いがありましたね。
医療機器にはいくつかのクラス分類があるのですが、不具合が生じた際に人体へのリスクが大きい医療機器とされる高度管理医療機器を担当することもあり、緊張感と責任感は常に持ち続けています。


―この部門ならではの特徴はありますか?

ムラタはBtoBメーカーなので他の部門では基本的には開発者が直接エンドユーザーのお客さまと関わることは少ないのですが、この部門では自ら病院に足を運んで現場の生の声を聞けることが特徴ですね。

どんな製品でもそうだと思いますが、どれだけ完璧に作ったと思っても、いざ使ってみると想定していなかったことが起こる可能性があります。そのため、お客さまからのフィードバックは製品の高性能化において非常に重要で、それを直接聞けることはモチベーションにも繋がっています。

現在の仕事、そして働くうえで大切にしたい“妥協しないマインド”

入社から現在まで同じ部門で医療機器のソフトウェア開発に取り組んでいる山元さん。担当製品の開発リーダーになった彼が持つマインドとは?

―現在は担当製品の開発リーダーをされているんですね

はい。ムラタはジョブローテーションのために入社3~5年くらいで異動を経験する人が多いのですが、私はめずらしく入社以降ずっと同じ部門にいます。
担当製品の責任者として2024年4月からはリーダーを任せてもらい、新人教育やチームのスケジュール管理、必要に応じてアウトソーシング(外部への業務委託)の検討・管理など、業務の幅も広がって勉強の日々です。

また新たなニーズ探索のために、大学病院との産学連携の取り組みなども積極的に行っています。
救急外来の現場に1週間付きっきりで見学させてもらったのですが、常に24時間体制かつ緊迫した空気感の医療現場では、想像を超える大変さを目の当たりにしました。

それと同時に、「医療現場とそこで尽力する方々へ少しでも貢献したい」という想いがより一層強まりました。会社での開発業務とはまた違う経験ができて、すごく貴重な時間でした。

―ムラタが医療・ヘルスケア領域に取り組む意義をどのように考えていますか?

日本の医療現場では、まだまだアナログな作業やシステムが多くあり、人手不足や地域格差などの課題もあります。ムラタのモノづくりの力を活かして、もっと安全、便利で、スマートな医療機器を提供していきたいと考えています。

実績や信頼が重視される医療業界では、新規参入するのがすごく難しい状況です。だからこそ、誰もやっていない新たな領域に踏み込むことや、ムラタの強みを活かすことでさらなる高性能化・高信頼性の実現を図れる領域を見つけることが必要です。
現場のニーズを常に探りながら、採用される機器をひとつでも多く作りたいですね。


―山元さんが働くうえで、大切にしたい価値観は何ですか?

「妥協しないこと」を大切にしています。これは会社の先輩方のモノづくりへの姿勢から学びました。

設計・開発する際に「そこまで作りこまなくてもいいんじゃないか?」と思ってしまうと、結果的にそこが弱点になってしまいます。しかし、一度開発したものを後から変えるのは設計上とても難しいため、最初の設計が本当に重要になってきます。

源流が何よりも大切で一切の妥協をしないという姿勢は、先輩方が過去の経験から積み上げてきたものであることを常に心に留め、私自身も後輩へ受け継いでいきたいです。

また、取引先の病院への訪問を通じて、医療従事者へのリスペクトを強く持っています。その方々からの期待に応えるためにも、これからも妥協せずに開発に取り組んでいきます。


これまでの半生を振り返って…

学生時代も社会人生活でも、ひたむきな努力と熱心な研究意欲によって、着実に成果を重ねてきた山元さん。最後に、山元さん自身の人生における価値観に密着します。

―これまでのお話を伺う限り、山元さんは常に前向きな印象ですが、後悔した経験はありますか?

楽観的な性格もあって、後悔することはあまりないですね。これまでの挑戦もすべてやってよかったと思っていますが、探求心が強い分、視野が狭くなってしまいがちなところはあります…。
学生時代に社会や経済についてもう少し関心を持っていれば、その後の選択や行動に良い影響を与えていたのではないかなと思います。

また何かしら失敗している最中においては、ネガティブなループに入ったり、繕うために得策とは思えない選択をしてしまったりする傾向があるのも反省点です。
そんなネガティブな状況から抜け出すために、思考を一旦止めて体を動かすこと、良からぬ選択をしないために現状を受け入れて冷静になることを、最近は意識して行うようになりました。

失敗の経験から学んだ解決策ですが、上手くいかないときもあり、まだまだ成長途中だなと感じます。

家族と一緒に乗った思い出の「YOKOHAMA AIR CABIN(横浜エアキャビン)」
(右は乗車時に観た夜景)


―学生時代から運動を継続されているんですね

社会人になってから、同僚の影響でフルマラソンに挑戦しました!ゴールしたときの達成感がたまらなかったです。走ることが大嫌いだった子どもの頃からは考えられないですが(笑)
平日の仕事終わりも、よくジムに行って走っています。走るのは自分にとって最強のストレス解消法だと思います。

ストレス解消法で言うと、音楽鑑賞やライブ観賞も好きですね。ライブに行くと、なんだか生きている実感を得られるんです。冬には毎年スノーボードをしています。美しい雪山を滑り降りるのも最高ですね。

あとはお酒も大好きで。特にウイスキーが好きなので、旅行で蒸留所に行くことも多いです。たくさん集めて、いつかは家をバーのようにするのが密かな夢です(笑)

趣味の蒸留所めぐり


―これまでの人生で特に印象に残っている言葉はありますか?

友人が持論で語っていた「感情は変化率(傾き)だ」という言葉です。そういう意味では、ムラタの内定が決まった時が一番嬉しかったように思います。
念願の物理研究に自分の限界を感じ、人生の目標を見失うというある種の失望を抱えている中で、自分にとって新しい道がひらけた瞬間だったと感じるからです。


―そんな山元さんが思う、ご自身の「自分らしさ」とは?

ひとつだけ挙げるとすれば、「粘り強さ」ですね。
我ながら、自分に対する負けず嫌いの気持ちが強いなと感じます。自分がやると決めたことは、必ず最後までやり遂げたいんです。途中で投げ出す自分が嫌なので。
振り返ると、周囲からもストイックだと言われることが多い人生だったように思います。

北海道のニセコでスノーボード!羊蹄山に雲海がかかった絶景とともに


―最後に、山元さんがこの先チャレンジしたいことを教えてください!

現場に行ってお客さまと話すのがとにかく好きなので、そこからニーズを汲み取って世の中に役立つものをつくりたいです。
またIoTやAIによって科学技術がますます進化する中で、ユーザーとして恩恵を受けるだけでなく、クリエイターとして社会に貢献できるモノづくりができたらなと思います!

―山元さん、ありがとうございました!

さいごに

今回の記事はいかがでしたか?
山元さんのお話から、日々の業務や過去の経験、そして未来への展望まで幅広く伺うことができました。
厳しい環境でも挫折せず、自分自身を見失わずに前進する姿勢には感銘を受けます。
そして何より、自ら選んだ道で他者へ貢献したいという強い想いや信念こそ、本当の意味で素晴らしい人生観なのかもしれません。

今後の山元さんの活躍にもますます目が離せないですね!

ムラタでは次世代を担う多様な人材が、それぞれの強みや専門性を活かして成長しながら活躍しています。
今回の記事を通じて、そのようなムラタの風土が少しでも伝わっていると嬉しいです✨

次回のムラタのnoteもお楽しみに!

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