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介護予防としてのアピアランスケアの可能性③
皆様、こんにちは!
前回に引き続き、大学院時代に、「美しくいきいきと老いること」~アピアランスケアに深さと広がりを~というテーマで、課題研究論文を元に綴ります。
前回は介護予防としてのアピアランスケアについての現状を書かせていただきました。前回も書かせていただいたように、介護予防としてのアピアランスケアはまだまだ浸透していません。
介護予防としてのアピアランスケアの障壁
その原因の一つが前回の最後の記事に書かせていただいた「高齢者観」という障壁があります。
要介護状態の高齢者への福祉政策の大半は、日常生活動作(ADL)の改善に力点が置かれています。
そして、現在その役割の多くを医療の専門職(医師・看護師・理学療法士等)が担っています。
しかし、医療職は「悪いところ」に着目しそこから様々なことを考えていく視点にあり、一人ひとりの高齢者の「生きてきた道」や「(私は〇〇について)こうありたい」という視点から高齢者を見ることについては弱いというのが現状です。
ましてや外見については、ADLをみて「動きやすい」や「脱ぎ着しやすい」など機能性には着目するものの、「何を着るか」や「どう装うか」などには関心を寄せることは少ないのではないでしょうか?
そうした、視点が介護者(家族)にも影響を与えていて、「介護を要する高齢者だから外見は仕方ない」という考えになり、社会的なコンセンサスにもなっていると私は思います。
こうした高齢者観は、要介護高齢者に限らず元気な高齢者観であっても同様で、「高齢者だから」という言い方で一括りにされ、服装や化粧等、また生き方まで「こうあるべきだ」という通念につながってしまっています。
高齢者らしいとは?
日本は、「高齢者らしい」「高齢者らしさ」という観がとても強い国です。
例えば、ヨーロッパでは高齢の女性がビキニを着て泳ぐのは当たり前の光景にはなっていますが、日本ではどうでしょうか?
皆様ならどう思われますか?
おそらく、ビキニはおろか水着を着る高齢を見て「年甲斐もなく」と思う人は少なくないのではないでしょうか?
,「年甲斐」とは何かをより深く考察し、「年甲斐」ではなく、ソーシャルワーカーの価値である「その人がその人らしく生きる」価値観への転換ができなければ、介護予防としてのアピアランスケアは浸透は難しいと私は思います。
高齢者だからこうしないといけない、我慢しないといけないではなく、
最期までいきいきいきと生きていける高齢者の方が少しでも増えるよう今後も研究、新しい事業を進めていきます!
最後まで読んでいただきありがとうございました♧