覚醒させる種類

意識というか感覚というか。。

それを種類分けしたとして。

まずは、
目や耳から入ってくる情報刺激。

映像やら音やら記号情報。

とりあえず『視聴覚系情報』としようか。

もう一つは、
体の感覚として入ってくる情報刺激。

触ったり当たったり、体の内部感覚だったり。

とりあえず『体感覚系情報』とするとして。

『視聴覚系情報』と『体感覚系情報』の2種類。

『みきき(視聴覚系情報)』と『あじわい(体感覚系情報)』とネーミングしても良い。

漢字ばっか見てると疲れるんでww

頭の中で、黙読するだけでも疲労がたまるから、ひらがな簡易ネーミングの利用は大事なんだよね。

現代人は、
『視聴覚系情報』を大量に入れ過ぎてて、
『体感覚系情報』よりも圧倒的優位に生きてしまってる。

『みきき』ばかりして『あじわい』が足りてない。

情報処理をするのは心。

まぁ現代風に言うなら脳。

脳の情報処理のメインが『みきき(視聴覚系情報)』なので、顕在的には『みきき(視聴覚系情報)』優位になってしまってる。

ホントは『体感覚系情報』も大量に入ってきてはいるんだけど、処理せずいるんで、顕在意識に上がらないって話。

人間にとって、というか、動物にとって、こんな“頭でっかち”な状態ってのは、もちろん不健康この上ない。

『あじわい(体感覚系情報)』を大事にするだけで、健康度は格段に変わる。

“味わう”ということ。

入ってくる『体感覚系情報』をたっぷり“味わう”だけでいい。

すると脳はその情報をちゃんも処理してくれる。

『あじわい(体感覚系情報)』を処理すると、体は自動的に機能を整えだす。

これが古来より“氣”とか“禅”とか名付けられ、方法化されてきた健康のテクニック。

これを【内観(ないかん)】という。

『あじわい(体感覚系情報)』優位の状態。

一方で『みきき(視聴覚系情報)』優位の状態でいることは
【外観(がいかん)】という。

外側のことばかりを観ていること。

ゴシップ大好きな人は典型的にこれ。

自分を棚上げばかりしてる評論家気質な人はこれ。

頭の中が記号情報で溢れて、その“頭でっかち”な状態で【外観】してるとき、人はケッコー妄想的な状態にある。

いわゆる「ハート(人の心)がない」とか「ヘリクツ」とかいうような状態となってしまう。

記号情報の組み合わせ方ばかりを考えてる状態。

現実論よりも理想論ばかりを妄想し、現実論よりも机上の空論ばかりに臨場感が支配されがち。

上手に『みきき(視聴覚系情報)』を利用できる

《客観視》

とは似て非なる状態が、この

【外観】

ばかりしてる状態。この状態の時には、むしろ

【内観】

はしにくくなってて、自分の内側にこもって

『体感覚系情報』

を受けたがらない

《主観視》

が強くなってしまっている。

自分の気分にとっての都合に振り回されやすくなってる状態。

まとめると、

【内観】して
『あじわい(体感覚系情報)』優位であると
《客観視》しやすくなる。

【外観】して
『みきき(視聴覚系情報)』優位になると
《主観視》に陥りやすくなる。

ということ。

自分が『みきき(視聴覚系情報)』優位になり過ぎてるな~と感じたら、【内観】して『あじわい(体感覚系情報)』優位の状態に戻してあげることが大事。

スマホやパソコン、テレビはもちろんのこと、言語やパターンなど、記号ばかりにまみれてると、必ず『視聴覚系情報』優位な“頭でっかち”状態に陥ってしまう。

【外観】ばかりしてると責任感や共感能力なども低下し、生きてる実感すらも薄まっていってしまう。

「別にわざわざ何時間もかけてそこへ行かなくても、動画で観たから良いや」

という価値観と、

「わざわざ何時間かけてでも“体験する”ことを通して感じ、味わい、そこから考えられることが大事」

という価値観とでは、獲られる情報も育つ能力も、遥かに違ってくる。

現代で生活を送るならば、もっと『体感覚系情報』を味わい、自分存在の機能を覚醒させてゆく時間を作ることが大事。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?