アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「鳥」レビュー「変わる感想」。
子供の頃に見た感想と大人になってから見た感想とが
全く異なる不思議な映画。
<子供の頃の感想>
小学校の校庭のジャングル・ジムにとまるカラスが1羽,また1羽と増えて行き最後にはジャングル・ジムが「動く真っ黒な塊」と化す。
しかも,その「塊」は人間に対する「敵意」で満ち満ちている…。
実際にカラスの大群が襲ってくる場面よりも,この場面が強く印象に残った。
なぜ?どうして?等の疑問に対する「回答」がなんらないまま
映画が終わってしまうのもショックと不安を覚えた。
<大人になってからの感想>
本作品の登場人物のひとりに
弁護士をしているミッチ・ブレナーという男性がいるのだが
彼には幼い妹と母親がいて父親は既に他界している。
彼には妹の通う学校の教師をしているアニーと
結婚を前提とした交際をしていたのだが
何らかの理由で結婚には至らなかった。
彼は弁護士という社会的に地位の高い職業に就いておきながら
良縁に恵まれない。
その「表層的な理由」は
「私が子離れできないからよ」
とミッチの母親自身が自己分析している。
だがブレナー家が多数の鳥に包囲されたとき
ミッチの母親が不安から思わず「本当の理由」を口走ってしまう。
「こんなときにお父様が生きていらっしゃれば…!」
そこまで言いかけて慌ててミッチに謝罪する母親であったがもう遅い。
「覆水盆に返らず」とはこのことだ。
ミッチの母親は無意識の内に
他界している夫と息子とを比較し続けていたのだ。
成人男子にとってこれは大変辛い。
立つ瀬がない。
なぜなら母親から面と向かって
「オマエはお父様と違って頼りにならないねえ」
「そんなオマエに頼らざるを得ないワタシの身にもなっておくれ」
と言われたも同然だからだ。
母親から植え付けられた
「オレは何時まで経っても半人前」
って劣等感がミッチの性格に影を落とし女性に対しても
「オフクロと同じ様にオレを「査定」する気なのではないか」
と疑う癖が付いていたのではないだろうか。
鳥からの攻撃など
人間からの精神攻撃に比べれば
そよ風程度の衝撃でしかない。
「傑作」が傑作となり得たのは観る人間の成長に応じて「見所」が変わり
感想もまた変わって行くからではないだろうかと愚考する。