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「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」レビュー。
本書は映画「シン・エヴァンゲリオン」のアニメ制作を事業として捉え事業を
1.事業の概要
2.事業の実績
3.事業の省察
4.鶴巻和哉・前田真宏・轟木一輝・安野モヨコ・緒方智幸等による内部評価
5.ライセンスと宣伝
6.川上量生・尾上克郎・高橋望・紀伊宗之・鈴木敏夫等による外部評価
7.庵野秀明による事業総括
の7単元に大別して情実とエピソード主義の徹底排除を指向した
従来のオタクちゃんが泣いて喜ぶ「アニメムック」なる物からの脱却を目指す試論である。
およそ350頁の記述は文字ばかりが延々と続き,
付録2の「総監督による指示と修正の実例」でようやくセル画や設定表が(モノクロで)登場し,
本書が「シン・エヴァンゲリオン」を取り扱っている事を思い出す構成。
と言うか本書はカラー頁がゼロなのだ。幾ら何でも硬派過ぎるだろう…。
極端な話,本書は「シン・エヴァンゲリオン」の「シ」の字も知らなくともビジネス書として読み進める事が出来るのだ。
本書の本質をアニメ制作を事業として捉える「試論」と表現したのは,
ある箇所では「ビジネスモデルとしての叩き台を目指す」と言っておきながら,
別の個所では「アニメ制作事業の手本を目指さない」と発言していて,論旨が矛盾してるからで,
ビジネスモデル書を指向しながら「察しと思い遣り」と言うモデル化出来ない章が存在したりする。
本書は「アニメ制作を客観的に評価して貰いたい」願望がある一方で,
「一生懸命心を込めてアニメを作った僕達に花丸を付けて貰いたい」という主観的な評価を期待すると言う矛盾に満ちた本なのだ。
「花丸を付けて貰いたい」とか「言ってる事」がまるで天真爛漫で純粋無垢な子供の言なのである。
こんな子供が魑魅魍魎が跳梁跋扈するショウビズ業界に迂闊に首を突っ込んだら,
いいよいいよとおだてられいい様に搾取されるに決まってる!
現に一度,昔の仲間と金銭問題で袂を分かってますよね。
あの時庵野氏に必要だったのは会見で裏切られた子供の様に泣きじゃくって世間の同情を買う事ではなく,
誰か余程しっかりした世間の表裏に詳しい補佐を付ける事だったと思います。
そうしなきゃ何度だって「同じ事」が起こりますよ。
うーん…一度火傷しただけでは何も学べないか…。
何故本書に,こうした矛盾が生じるかと言うと庵野秀明氏の
「良し良しと褒めて貰いたい」と言うパーソナリティに大いに依存してる点が挙げられるが,
アニメ制作と言うものをビジネスモデル化するには限界がある点の方が本質的で,
例えば「シン・エヴァンゲリオン」を製作中に庵野氏が急逝された場合,誰も「シンエヴァ」の「続き」を作れない,
「君たちはどう生きるか」を製作中の宮崎駿氏が急逝された場合,
例え息子の宮崎吾郎氏であろうとも決して後を継げないという個人の職能・才能に依存する部分が非常に大きく,
その超特異な才能は世襲すら出来ないという特徴を孕んでいるからである。
冷静に考えて「コレさえ読めば誰でも宮崎駿や庵野秀明の仕事を代行出来るマニュアル」なんて作れる訳ないのである。
一般企業の事業でリーダーが何らかの理由で降りたとしても,別の誰かがその事業を継ぐし,
継げなければならないのと,この点で大きく様相を異にするのであって,
リーダーが降りたからと言って事業そのものが頓挫する事など一般企業では先ず有り得ない。
ビジネスモデル化・理論化するのに限界があるのだ。
また本書でも言及してるがアニメ制作は共同作業であって気心の知れてない相手と長時間机を並べて作業するのは困難である上に,
その職能は殆ど「取り換えの利かない・モデル化出来ない職人仕事」なのである。
「創作活動」の本質ってミケランジェロやダ・ヴィンチの様な「親方」と彼等に師事する弟子達がいて,
弟子達が親方の指導の下,足場を組んで教会の天井にデカい宗教画を描く「徒弟制度」であって,
労働争議によって労働条件が緩和されたりテクノロジーの発展によって連絡手段が発達・多様化してはいるものの,
肝心要の創作活動そのものに関しては依然として「中世からのやり方」を踏襲してる訳で,
庵野氏は風車に立ち向かったドン・キホーテの様に,そうした中世暗黒時代に光を当て,
少しでも状況を改革したいと思われてるのではないかと愚考します。
そうした庵野氏の本書の執筆動機は分かるのです。アニメ制作を体系的に理論的に表現したい。
アニメ制作の手法を確立・提案したい。オタク向けコンテンツから脱却したい。
本書は日本一のオタクが書いたアニメ制作の理論書であって前代未聞の一冊と言えるでしょう。
僕は古い人間なので本書を読んで立川談志師匠の「現代落語論」を思い出しました。
談志師匠が1965年に書かれたこの本が「落語はこのままでいいのか」って大いなる危機感を持って書かれた様に,
本書も又「アニメ(制作)はこのままでいいのか」って大いなる危機感を持って書かれた檄文である様に思えます。
その論は多くの矛盾を孕みながら僕を魅了して止まないのです。
「現代落語論」の副題は「笑わないで下さい」。
落語家は芸で笑わせている自負があり決して落語家本人を指差して笑われる事に慣れてる訳ではない様に
アニメ作家も芸でエンターテインメントを提供してるのであって「たかがアニメ」と卑下される事に慣れる事は決してないのです。
理論武装するのは「たかがお笑い」「たかがアニメ」って言われたくないからなのです。
本書の個々人のエピソード主義を徹底的に排除し・システム化したい空気が全く読めてないのが外部評価者のひとり鈴木敏夫氏の論であって,
相も変わらず「僕は宮崎駿を「宮さん」と呼んでるんだぜ」とか
「僕は庵野と宮さんを個人的に良く知ってるんだぜ,例えばさあ…」とか自慢垂れのマウンティング描写が延々と続く。
アニメ制作を客観的なビジネスモデル化したいと言う「理想」と,
実際にアニメ制作をプロデュースしてるのは鈴木氏の様な猿山のボスであり続ける事を指向する,
非常にアクの強い人物であり,世代交代など頑として許さず,
実際にアニメを作ってるのは突出した個性を持った決して取り換えの利かない才能であるという,
「現実」との相克が奇しくも大変良く表現されている。
でもさ。鈴木氏は庵野氏の生真面目な学生の様な精神的ドーテー君が一生懸命考えて一生懸命背伸びして
高く掲げた「理想」なんぞ「絵に描いた餅」位にしか思っておらず,
最初から庵野氏と詰まらねえ組み手争いなんぞせずに
「庵野は結婚披露宴の司会が得意で「ではここで愛の接吻を!」って件を
来賓席で聴いていた宮さんが「止めろ!そんな事したら俺はこの結婚を認めない!」って激昂した」
って話を敢えて本書の空気を一切読まずに放り込んできて
「本書を読んでるキミ達オタク君が知りたいのは要するに「こういう事」だろ?」
と「模範解答」のみを示して露骨にこっちに目配せして来る余裕を見せてるのだ。
コリャアカン。
鈴木氏は庵野氏以上の難物と長年付き合って来ていて「世慣れ度・場慣れ度・大人度」が庵野氏とは比較にならんのである。
「学生」って言葉が出て来たから少々苦言を呈すると,本書を読んでると「学生の卒論を読んでる教授の気持ち」になります。
「アニメ制作に直接関わる事」と「差し入れの管理方法」や「毎朝出入する清掃業者の事」が同じ比重で書かれてて,
「細大漏らさず書かれてる」って言えば聞こえはいいですが読むこっちの身として言えば,
「重要な事・絶対に伝えるべき事」と「さして重要でない事」の優先順位を付けて記述して欲しいのだ。
正直さあ,差し入れや清掃業者の事は割愛すべきなのに庵野氏は「全て網羅する」事に囚われて事の軽重の評価が出来なくなってるのだ。
「全て網羅した」結果,本書は非常に読みにくくなってる。
そんなの当然だよね。庵野氏の頭の中を無編集で直に見させられてんだから。
日記の抜粋じゃあるまいしアニメ制作の事と朝食の献立の事とがシームレスに書かれてるのを読んで僕が感心するとでも思った?
「会社」ってさあ業務を切り分けて庵野氏にのしかかる余計な負担を極力軽減して,
アニメ制作に集中出来る環境を構築する為の組織でしょう?
本来「総務」が把握すべき事柄まで庵野氏が熟知して,
庵野氏がいちいち細かに決済しなければ何も回らないなんて一体何の為の組織なんだ。
庵野氏が背負う重荷を少しでも軽減しろよ!
きっと今までは周囲の人間が都度察してアレコレ気を遣って
善意と憐憫の情から庵野氏の負担を対症療法的に減らしてたんだと思う。
だから本書はビジネス書を指向してる癖に「察しと思い遣り」なんて章が残ってるのだ。
でもこれからは,会社運営としては,それでは困るのです。
確かに「察しと思い遣り」は人の情として美しいけれど,
1人の人間に仕事が集中する過負荷対策を「善意や人情」任せにする労働条件は少しも人に優しくない。
「善意と憐憫の情」を抱かない様に「察しと思い遣り」ではなくシステムで庵野氏を支える様にする必要があるのだ。
庵野氏の負担が減る様,業務をキチッと切り分けて総務の事は総務がするようにしないと庵野氏の身が持たない。
「僕達一生懸命頑張ってビジネス書っぽい物を作りました!」
ってアマチュアレベルの満足を目指すんじゃなくて,
どうせなら株式会社カラーの総会の資料として通用する物を目指しましょうよ。
株主皆が皆本書を読んで納得したのなら,それは本書にとって決してマイナスにはならず,
本書が「大人の世界に通用した」って「箔が付く」じゃないですか。
本書に「シン・エヴァンゲリオン」制作時の裏話とか「ホッと心が温まる話」とかを期待する向きには
ズバリ「無機質・無感情な冷たい詰まらない本」だと思います。声優諸氏のコメントすらない。
でもね。延々理論が書き綴られた「行間」から滲む「たかがアニメって言うな」って
庵野氏の血走った目を,憎悪と怨嗟を感じる事が出来たなら本書は実に感情的に書かれた熱い熱い熱い本だと気が付けると思います。