コラム「ダリオ・アルジェント監督の映画『サスペリアPART2』の日本劇場公開版(1978年公開)を閲覧する。」
イタリア・ローマで開催された超心理学会の講演で
比類なきテレパシストの能力を発揮して見せた
ヘルガ・ウルマン(マーシャ・メリル)女史は
会場に潜む「恐るべき殺人鬼の思念」を探知し
その「誰か」に向かって警告を発する。
「ワタシはオマエの所業も魂胆も知ってるぞ」と。
その夜彼女は自室に押し入って来た何者かに惨殺され,
英国人のピアニスト・マーク(デヴィッド・ヘミングス)が
事件の目撃者となる。
マークの心中に「引っ掛かる事」がある。
ヘルガの悲鳴を聞いて彼女の部屋に駆け付けたときには
確かにあった筈の絵が,警察の捜査の段階では無くなっている。
「消えた絵」が今回の事件の鍵を握ってるのかも知れないが
ヘルガの部屋に至る回廊には数多くの不気味な絵が飾られており
ソレが「どんな絵」だったかがどうしても思い出せない…。
マークは美貌聡明の新聞記者・ジャンナ(ダリア・ニコロディ)と組んで
事件の真相を追うが常に真犯人に先手を打たれてしまう。
「ソレ」は一体何故なのか…。
マークが今後の行動指針を明かしているのはジャンナだけなのだ…。
先ず基礎情報として共有しておきたい事は
本作には「完全版」と「劇場公開版」のふたつがあると言う事。
ふたつの「違い」を知っていただきたいのです。
1.完全版:126分
アルジェントが唯一の「オリジナル」と認めている
所謂ディレクターズカットで
「例え1分1秒でも僕のフィルムを切る事は許さない」
とアルジェントは息巻いております。
原語はイタリア語,原題はPROFONDO ROSSO(イタリア語で「深紅」の意)
となります。
2.劇場公開版:105分
完全版が米国に輸入され米国の劇場で公開される際,
21分カットされて上映されました。
勿論「オリジナル」を21分も切られたアルジェント大激怒。
マークとジャンナの気の置けない男女の何気ない会話場面が
「本筋と関係無いから」片っ端から切られ
マークとカルロの「ふたりのピアニスト」の連弾場面や
カルカブリーニ警部の署内での日常のスケッチ描写も
同様の理由から割愛されている。
映画の「味わい」はこういう「日常のスケッチ」の積み重ねで生まれるのに
「日常のスケッチ」を「そんなもの不要」と切って捨てて
「論理的に説明可能で絶対必要だとスポンサーにプレゼン可能な描写」
で占められているのが劇場公開版なのだ。
横溝正史の小説「犬神家の一族」の「日常のスケッチ」を不要だと割愛した
抄録版「犬神家の一族」など絶対に有り得ない様に,
抄録版の映画「サスペリアPART2」もまた有り得ないと断ずるものである。
創作物に「合理性」を求める愚をひしひしと感ずるのである。
そもそも!本作は「合理性」の上に立脚してない作風なのだ。
言語は英語吹替,題名はDEEP RED(米国語で「深紅」の意)となります。
この劇場公開版が日本にも輸入され日本でも劇場公開されてます。
僕の…「劇場公開版」に対する悪感情が伝われば幸いである。
昨年12月に出た「サスペリアPART2」の4K BOXの特典の目玉は…
1978年で日本で初めて公開された本作の完全収録であると
言い切ってしまって構わない。
この…日本劇場公開版は…米国劇場公開版を母体としており…
従って尺の長さは105分となる。
この…日本劇場公開版は
普段は国立映画アーカイブにプリントが収蔵されており…
国立映画アーカイブは映画フィルムの保存と復元を目的として
2016年3月末の時点でおよそ78,000本のフィルムが保管され…
その88%が日本映画で
海外の映画は12%の約9,000本に留まっているが
その9,000本の中に本作の「日本劇場公開版」があり…
この度「日本劇場公開版」をHDテレシネ化し…
円盤の特典として収録することが特に許されたのだ。
勿論初めての円盤化であり…
「原本」は…今でも厳重に保管されている…。
国立映画アーカイブの設立目的がフィルムの復元と保存であり
「上映」ではないのだから今回の特典収録は図書館に於ける
稀覯本の閲覧より難易度は高いことが容易に予想出来るのだ。
でも…でも…折角フィルムが存在するのだから…
「観なきゃ」だよね…
「閲覧しなきゃ」だよねェェェェェ!!!!!
要するに…我は今…
「滅多に観られないモノ」を…
大御心(おおみこころ)畏れ多し…
閲覧する大光栄に浴しているのだ…。
画質はまあまあで発色は淡く高音は割れ
時折画面にサーッとノイズの「雨が降っている」。
ヒスノイズも一杯。
なれど。
コレは「特典」であり…
歴史的価値を考えれば文句や贅沢は言えぬ。
観てみてわかったのだが…この…「日本劇場公開版」の最大の見所ってのは
この…「46年前の字幕…46年前の常識…46年前の感覚」だったのですよ…
コオロギくん…。
カルロ「俺にとってピアノは女みたいなもんだ」
「ケツをなでてやるんだ」
マッシモ・リッチ「(カルロは)頭が狂ってます」
エルビラ「(ツグミがいると)狂人がいるみたい」
カルロママ「でも過去は忘れるものね」
「橋の下の水(=water under the bridge=「水に流す」の意の米慣用句)
ですもの」
アマンダ「「子供の家」の怨霊だわ」
ジョルダーニ「こうしていても埒(らち)が明かぬ」
「昔の字幕」はコンプライアンスなんて知らねえ!
「昔の字幕」は文語体口調!
良い子の皆は「口語体」と「文語体」って知ってるかい?
「文語体」と言うのは古典文学の口調…古文の口調のコトで…
言い回しが非常に堅く…古めかしく…文章を読んでる様で…
そもそも「会話してる」って感じがしない。
文語体の「会話」は…
「会話」になってねえのです…。
この…日常会話からかけ離れた「文語体」を是正すべく
生まれたのが「口語体」で…「会話口調」を最大の特徴とし…
「くだけた会話」を実現し…「自然な会話」を目指したもの。
「日本劇場公開版」の字幕を作った清水俊二さんの字幕を読むと…
「文章を読んでいる」が如くで口調が全然砕けてない…
つまり文語体で話しているのです…。
本当にさあ…「日本劇場公開版」を閲覧する大光栄に浴させていただき…
この文語体の連続を読んでいるだけで
「昔の知識」に直に触れている大感激に震えるのです…。
昔作家の橋本治さんが「源氏物語」の
現代語訳を全て口語体で書かれていて大変話題になりました。
現代では絶滅の危機に瀕している「文語体」ですが…
どっこい生きているのです。
例えば富野喜幸さんのアニメ「無敵超人ザンボット3」ですと…
巨大な脳の前に辿り着く神勝平(じんかっぺい)…
ガイゾック「侵入者は…地球…太陽系第三惑星の乗り物か…」
勝平「こ…こいつがガイゾックの正体か…?」
ガイゾック「その声…神勝平だな…?」「我敗れたり…神勝平…」
勝平「やっぱり…貴様がガイゾックか?貴様がガイゾックの正体なのか?」
ガイゾック「否…我はガイゾック星人によって作られた…」
「コンピュータドール第8号に過ぎない…」
分かりますか皆さん…
さっきから…
勝平は口語体で「ガイゾック」に話しかけ…
「ガイゾック」は…
「質問に対する回答例」を選択して文語体で答えているんです…。
「ガイゾック」が…人間との対話を拒み…
自らの使命遂行を最優先する存在であるコトを…
決して親密な会話と成り得ない…
文語体で話すコトによって表現しているんです…
映画「ターミネーター2」でも
「君の考えには同意できない」を…
「否定的」と…
人と話したコトが無いが故に
滅茶苦茶堅苦しい文語体で話す
T1000にジョン・コナーが
「『否定的』ってなんだよ!?」
と説教し…
口語体による砕けた会話のキャッチボールを
実地で教えて行く場面がありますよね…。
また…文語体で話す存在は他にもいます…
ソレは僕の様な「オタク」です…。
オタクは…一人の例外もなくコミュ障で…
他人と会話するコトが出来ません…
従って「口語体」で話す機会がない…。
オタクは専ら「書籍」とのみ会話し…
文語体で話すコトを自然に学び取って行くのです…。
例えば…「機動戦士ガンダム」のセリフのみで会話を試みるオタク…
例えば…全てを「三国志」の知識で乗り切ろうとするオタク…
例えば…全てを「ジョジョ」の名セリフで乗り切ろうとするオタク…
オタクの一人称は…
「拙者」だの「吾輩」だの「某(それがし)」だの
「我」だの「余」だの「朕(ちん)」だの…
他人と会話したコトがないから…表現が古典的となり…
即ち文語体で話す様になるんです…
オタクこそが絶滅寸前の文語体を守護っているんです…
「失われつつある文語文化の守護神」…その名はオタク…。
閑話休題
日本劇場公開版には「ジャジャーン!」と
「ヘンテコなファンファーレ」が入る箇所が4つある。
1.エルビラを見送ったアマンダが「首吊り人形」を発見する場面。
2.ジョルダーニが浴室の
「アマンダが残したメッセージ」の謎に気付き振り返る場面。
3.マークが幽霊屋敷の「消えた窓」の謎を解き
白骨化した遺体を発見する場面。
4.マークが回廊から「消えた絵」の謎を解き真実に到達する場面。
他方月曜ロードショーの吹替音源にも
「ヘンテコなファンファーレ」が入る箇所が4つある。
1.「黒いコートの男」がマークの部屋を襲撃し立ち去る場面。
2.エルビラを見送ったアマンダが「首吊り人形」を発見する場面。
3.ジョルダーニが浴室の
「アマンダが残したメッセージ」の謎に気付き振り返る場面。
4.マークが回廊から「消えた絵」の謎を解き真実に到達する場面。
日本劇場公開版と月曜ロードショー版との,
それぞれの「ヘンテコなファンファーレ」の間には明確な関連があるのだ。
恐らく東宝東和が入れたであろう「ヘンテコなファンファーレ」を叩き台に
月曜ロードショーの「ヘンテコなファンファーレ」が構築されたのだろう。
映画の世界も年々制約が増え…
「時代の制約」が厳しくなってるのは確か。
何も字幕の話だけじゃなくて
本作そのものも特典で「ジェンダーの立場」って
「時代の制約」から批判に晒されてるしね。
そもそも本作は「統合失調症の人殺しの話」で
全ての芸術作品がそうである様に
「時代の制約」に真っ向から挑戦し,
世間に波風を立てる事こそが本懐なのだ。
だからこそ懸命に1998年制作の字幕を守り
遥か過去に遡って1978年劇場公開当時のプリントを
当時の字幕ごと丸ごと特典として収録し
「時代の空気」をも収録せんとする是空社の心意気に痺れるのだ。
「表現の自由」は「表現の不自由」と戦って守らねばならないのだ。
最後にひとつ皆さんに「お願い」があります。
本商品を
「買いたくない」と思うのなら買わなければいいと思いますし
「高い」と思うのなら金をもっと有意義な事に使えばいいと思います。
だけど「真剣に本商品の購入を検討してる人」の
勇気とやる気を挫く事だけは止めていただきたいのです。
「こんな(高い)ものを買う事に意味なんか無い」と。
僕だって金なんかありゃしませんよ。
でもね。
この世には
空きっ腹を満たすより知的好奇心を満たす方を優先する人間が居るんです。
散々逡巡した挙句稀覯本を購入する人間が
例外なくカツカツの暮らしをしてる様に
散々逡巡した挙句
「大昔の映画」の貴重な円盤群を購入する人間も
また例外なくカツカツの暮らしをしてるのです。
どうかそうした人間の
「なけなしの勇気」
を挫かないであげていただきたいのです。
国立映画アーカイブに収蔵されている
本作の日本劇場初公開版のプリントは
書籍で言えば稀覯本に相当します。
その二度と見る機会など訪れないであろう稀覯本を
「是が非でも見たい」と乞い願う事がなんで「意味がない」のか。
僕にとって本商品は出た「意味」も買う「意味」もあるから
僕は斯くも長文のレビューを書いているのです。
例え本商品を購入して食費にも事欠いたとしても
空きっ腹を茶で紛らわしながら
日本劇場初公開版を観る行為は…
途方もなく豊かで何物にも代え難い「意味」があるのです。
例え一瞬でも「何か」に懸命に打ち込んだ経験のある方ならば
一冊の本を寝食を忘れて読み耽り夜明かしした経験のある方ならば
この世には「食う」事よりも「寝る」事よりも優先すべき事柄があるとの
「僕の言いたい事」が伝わると信じて疑わないものである。
真実の追究は…
知らないことを知ろうとする行為は…
「命」よりも…
遥かに価値があるんだッ!
僕は死んでも知りたいんだッ!
僕はッ!
「ただ何となく生きるコト」を…
「生きながら死んで行くコト」を…
断固拒絶するッ!