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マリオ・バーヴァ監督の映画「ザ・ショック(1977年)」ブルーレイレビュー「マルコ少年が味わっている恐怖は僕が味わった恐怖なんだ。」

麻薬中毒の夫カルロ(二コラ・サレルノ)が自殺したショックで
精神に異常をきたし精神病院での加療の過程で電気ショックで
夫が死んだ頃の記憶を失ってようやく退院を許された
ドーラ(ダリア・ニコロディ)は亡夫との間に一子マルコを設けた状態で
二度目の夫ブルーノ(ジョン・スタイナー)を結婚し,
かつての夫カルロと暮らしていた家で暮らし始める。
口の悪い友人は
「悪妻ドーラがカルロを自殺に追い込んだ」だの
「麻薬中毒者を夫に持っていたドーラがマトモな訳がない」だの
もう散々。
ドーラは幾ら彼女に当時の記憶が無いとはいえブルーノが
元夫とドーラが暮らしていた家で暮らし始める神経が理解出来ない。
マルコがブルーノを父親として認めず
「ママの二番目の夫」としか呼ばない点もドーラの頭痛の種だ。
マルコにとって「父親」とは依然としてカルロなのだ。
やがてドーラはピアノの鍵盤にカミソリを仕込んだり,
雨戸の収納紐に切り込みを入れたりする「小さな悪意」に悩まされ始める。彼女はマルコが犯人と決めつけ激しく叱責する。
マルコは自室で「本当の父親」以外の男と寝る母親を罵倒し,
女の人形の首をハサミで切り裂く悪戯に没頭し始める。
ドーラは「死霊の手」に愛撫されたり,
地中から出た「死霊の手」が自分の足首を掴んで離さない
悪夢に魘され始める。
ドーラはマルコにカルロの霊がのりうつって,
自分を狂わせようと謀っているとブルーノに口走り始める…。

初見。
僕の父親は僕が6歳のときに胃潰瘍で他界し,
僕と妹は女手一つで育てられた。
母親は生保会社の外交員となり,上司に叱責される度に泣いて帰って来て
「3人で一緒に死のう」
と無理心中を持ちかけて来て,
僕と妹は母を慰めて心中を思い留まらせるのが常だった。
こっちの命が懸かってるから文字通り懸命になるに決まってる。
やがて母親は新興宗教にハマり
僕と妹を総本山に強制連行して信者との共同生活を強要させた。

だから本作品で僕はマルコに感情移入したんだ。
懐いていた父が他界して,段々マトモじゃなくなって行く母親を見詰める
マルコの寄る辺ない不安は僕の不安だったんだ。
僕の母親は見合いをしたけど,
子連れの女とマトモな男が交際してくれると思うかい?
見合い相手は皆指の数が10本ない相手ばかりだったんだ。
交際を断ると謝罪金を求めて来て警察を呼ぶまでがセット。
だから本作でマルコがブルーノに決して懐けない気持ちがよく分かる。
マルコはね,子連れの女と結婚したブルーノの本質が
「ヤクザなロクデナシ」だって見抜いてたんだ。
ドーラは「ドーラと元夫が暮らしてた家」で暮らす事に固執するブルーノを訝しんでたけど「理由があるからやっている」のである。

「愛があるから大丈夫なの」は
オマエが子連れでなく,結婚未経験者だからだよ,瀬戸の花嫁さん!

本作の最後でマルコはエア父親と「ままごと遊び」をする。
勿論「本当の父親」とだ。
僕も母親の帰りが遅いと妹と
「ままごと遊び」してたからマルコの気持ちが凄くよく分かる。
現実がキツ過ぎて「ままごと遊び」に逃げ込みたくなる気持ちがね。

ブックレットによると「サスペリアPART2」(1975年)で主演女優だった
ダリア・ニコロディは「サスペリア」(1977年)で
自分が主役でないことに激昂,

「主役でないなら端役でいい」

と主張し冒頭の空港の観光客役を演じている。
そうした状況でマリオ・バーヴァからの
本作への「主役での」出演要請を彼女は脚本を全く読まずに快諾。
体を張った大熱演を披露する。
ニコロディは

「マリオは素晴らしい人よ」
「ウインクひとつで万事解決してしまうから」

等々言葉を尽くして褒めちぎりながら回想する。
余程「主役」だったのが嬉しかったんだろうなあ。

本作の共同脚本家のひとり,ダルダーノ・サケッティは特典映像の中で,
「この映画を観たオマエ達の「言いたい事」がオレにはよおく分かる」
「「アルジェント映画のパクリ」「ゴブリン音楽の模倣」だって言いたいんだろう?」
「あのな。「サスペリアPART2」で時代の寵児となったアルジェントは当時のイタリア映画そのものだったんだ」
「影響を受けない事なんて不可能なんだ」

ダリア・ニコロディが主役であること,
イ・リブラの音楽がゴブリンを連想させること,
真相の鍵を握る「子供が描いた物騒な絵」…。
サケッティは「僕たち」が言いそうな事くらい先刻承知なのだ。
きっと100万編言われて来たんだろうなあ…。

サケッティの言いたい事分かるなあ。
1980年代に創作活動をしてて
作家スティーヴン・キングの影響を受けない事は不可能だった。
高橋留美子先生はキングの「クジョー」から
犬好きのお嬢様九条(くじょう)明日菜を生んでるし,
荒木飛呂彦先生は空条(くうじょう)承太郎を生んでいる。
「ジョジョ」のエピソードにはキングの小説の影響を見て取れる。

コレはリスペクトであってパクリとは以て異なるものだ
とサケッティは主張する。

1980年にマリオ・バーヴァ監督が他界されたとき,
イタリア映画界は皆彼を黙殺し,誰も弔問に行かなかった。
ただひとり,ダリオ・アルジェントだけが弔問に訪れ,

「どうか僕とマリオを30分間だけ,ふたりきりにして欲しい」

と言いマリオの棺に寄り添う姿は
ミケランジェロの亡骸に縋る弟子そのものだったとサケッティは語る。

「アルジェントはパクリとリスペクトの違いを知っていて決してマリオを責めなかった」
「アルジェントはマリオの作品から多くを学んだ」
「マリオはアルジェントの作品から多くを学んだ」
「偉大な芸術家は互いに影響し合うんだ」
「それを枝葉末節を取り上げてパクリだの何だの…」

いまサケッティは「創作の神秘」について語っているのだ。
「下衆の勘繰り」は不要ともね。

本作のジャンルは何なんだろう。
ホラー映画でもなければスプラッタ映画でもサスペンス映画でもない。
藤子不二雄A先生の「魔太郎がくる!!」(1972年)で魔太郎に
ドラキュラとか半魚人の映画の情報を教えてくれるのは
「怪奇屋のおじさん」で
作家の菊地秀行氏は著作「怪奇映画ぎゃらりい」の中で
怪奇映画ベスト100を選出されている。
先生は「怪奇映画」を愛好されるのであって
断じて「ホラー映画」を愛好されているのではないのだ。
本作はマルコ少年が「母親が壊れて行く」恐怖を震えて見詰める
恐怖映画・怪奇映画なのだと思う。
本作を観てると「何処か懐かしい」感じがして
「死霊のはらわた」に頭が更新される「前の記憶」が甦って来るのが,
その証明である。

本当はね。

本作が「懐かしい」のは
僕の子供の頃がフラッシュバックして
ひきつけを起こしてるからなのですよ。

ダリア・ニコロディの超然とした佇まいがただひたすらに眼福である。
本作でロクでもない役を演じたジョン・スタイナーは
アルジェントの映画「シャドー」で
斧で頭をカチ割られるロクデナシを演じている。
マリオからアルジェントへ「ロクデナシの系譜」が引き継がれたのだ。

偉大な芸術家は互いに影響し合うのだ。

字幕を「イカれる」に逃げず「狂う」で通した
是空社の意地にも惜しみない拍手を送りたい。

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