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ジョルジュ・フランジュ監督の映画「顔のない眼(1959年)」レビュー「心は美しいままなのに…父と情婦は『オマエは醜くく無価値だからワタシ達の助けなしでは生きられない』と彼女を追い詰め…悲劇的結末へと導かれて行くのである…」

深夜,ひとりの中年女(アリダ・ヴァリ)が若い女の死体を川に捨てる。
皮膚移植の優れた論文を次々と発表しながらも
皮膚移植の理論の実践の段階で足踏みする
ジェネシェ博士(ピエール・ブラッスール)は川で発見された遺体を
交通事故で顔に大火傷を負い,病院に入院中に逃げだした
娘クリスチーネ(エディット・スコブ)だと確認する。

ジェネシェ「娘は…世を儚んで川に身を投げたのだろう…」

クリスチーネの葬儀にジェネシェの隣にあの中年女…
ルイーズの姿があった。
ルイーズはジェネシェの助手で彼の指示で
クリスチーネが死んだかの様に見せかける為に
偽装工作を行ったのだ。

クリスチーネは自宅で生きており…
ルイーズがクリスチーネと年恰好が同じ娘をかどわかし…
ジェネシェが娘の顔の皮膚を実の娘の顔に移植する実験…
そうコレは「実験」なのだ…を実の娘を実験台に行おうと言う肚なのだ…。

交通事故で顔に大火傷を負った娘の為と称し,
助手に若い娘を集めさせ,顔の皮膚を奪い,
実の娘を実験台に皮膚移植を繰り返し,
用無しの「顔」の無い体を墓地に遺棄する
鬼畜と化した外科医と,
父の本心…皮膚移植を成功させ名声を得たい…を見抜き,
これ以上凶行を犯させまいと思う一方で,
元の顔を取り戻し恋人と再会したい娘の苦悩と決断を描く。

アリダ・ヴァリは普通の映画ファンにとっては
『映画「第3の男」のアリダ・ヴァリ』なのだろうが…
僕はぜーんぜん「普通」の映画ファンではないので…
アリダ・ヴァリと言えば…
ダリオ・アルジェント監督の映画「サスペリア」の
タナー先生(磯野カツオ声の高橋和枝さん)なのである。

本作に於いてはジェネシェの助手にして彼の情婦として
若い女を攫っては彼に提供する毒婦を好演している。

ジェネシェは「娘の為」と口では言っているが
その同じ口で
「このワタシの天才的皮膚移植が陽の目を見ないなど有り得ん!」
と不平を零し…その不平を娘クリスチーネはしっかりと聞いているのだ。

本作の最大の見所は勿論皮膚移植手術場面で
若い娘が助けを求めて泣き喚き…
命乞いをしているのも関わらず手術を強行する
ジェネシェのキチガイ博士ぶりであって
ホントにね…実に実に実に興奮する場面となっている…。

皮膚移植手術は…一時的には成功した様に見えても…
必ず拒絶反応が起こってしまう…
従って成功するまで何度でも若い娘を誘拐する必要が発生し…
いつかは全てが露見する羽目となるのである。

ジェネシェとルイーズは家の鏡を全て隠し…
娘の心は美しいままなのに
『オマエは自分の醜い姿を見たくないだろう?ああ?』
と「オマエは醜い」と娘を追い詰めて行くのだ。

ジェネシェは人間の皮膚移植を行う前に犬で実験を行っており…
ジェネシェ邸に多数の犬がいる…。
この犬が…最後に非常に重要な役割を果たすコトとなるのである。

クリスチーネは…「幸せになる予定」がなく…
ロクデナシの父…そのロクデナシに協力する情婦に嫌悪感を抱いており…
「このふたりを…生かしておくことは出来ない…」
との静かな決意が…悲劇的な結末へと繋がって行く。

クリスチーネは森の中に消えて行く…
もう誰も彼女を「醜い」と指摘するものはいない…
それは同時に…彼女の居場所の喪失を示しており…
「森の中に消える」しか彼女の選択肢は残っていないのである…。

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