デイヴ・ジャクソン監督の映画「キャット・シック・ブルース」レビュー「救われない女」(再投稿レビューです。)
猫好きのクレアは自分の飼猫の動画を撮影して
YouTubeに投稿するのが趣味で
投稿動画がバズって1000万回再生されたのが自慢。
ところが彼女は本名と住所を明かしていた為(ウソでしょう…?),
「猫好き」ではあるが…
頭の弱い相撲取りみたいな体格の男が自宅に押し掛け
彼女は「同じ猫好き」だからってんで家に上げてしまった。
ウソでしょう…クレア…
そんなの…家に入れちゃダメでしょうクレアッ!
そんなの上げちゃダメでしょうクレアッ!
頭の弱い男は彼女の「1000万回再生された猫」を撫でても帰ろうとせず,
口論となりカッとなった男は猫を窓から投げ捨て,
彼女に対して力任せに乱暴狼藉に及んだばかりか,
その乱暴狼藉の一部始終を動画撮影していて
録画データをYouTubeに投稿してバズるのであった。
投稿タイトルは「住所氏名を明かした女の末路」。
頭の弱いデブに愛猫が殺され,凌辱され,
凌辱された模様を録画され動画を拡散された彼女は「有名人」となり,
愛猫がアスファルトに叩きつけられて死んだ場所が「観光名所」となり
彼女を見ると「あ,住所氏名を明かしたアホ女だ」と動画を撮られる有様。
彼女は愛猫を失った悲しみに耐え切れず
「愛してたペットを失った人たち」
の互助会のコミュニティに入会する。
そこで彼女は愛猫パトリックを失ったというテッドという男と知り合い,
同じ悲しみを共有する者同士意気投合し,間もなく男女の仲となる。
そんな…バカな…クレアッ!
あのさ。
「クレアの弱点」はさあ。
「同じ猫好き」とか「同じ悲しみを抱えてる」とか
「このヒト…ワタシと『同じ』なんだ♪」って認識すると
もうそれだけで感激してしまって
途端にガードが緩んで
胸襟を開いてしまうところなのよ。
クレア…オマエは「他者との距離感」がバグってるうえ,
人を見る目がゼロのうえ,生きものとして最も大切な
危機察知能力及び学習能力がゼロなのである…。
生き物ならば…一度痛い目に遭ったら…学習して…
「次」は死ぬ程警戒しろよ…。
そりゃいいようにサンドバッグにされて酷い目に遭うよ…。
だがテッドは愛猫パトリックを生き返らせるには
9人の女の魂が,生血が必要だという妄想に憑りつかれた
キチガイの人殺しであり…。
今日も彼は猫面を装着した殺人魔と化して夜の町を暗躍するのであった…。
クレアァァァァァ!!!!!
オマエと言うオンナは…
一体…何処まで酷い目に遭えば学習するんじゃい…。
本作の主人公クレアは徹底的に「救われない女」として描かれ,
男と付き合えず女性と同性愛関係にあることが示唆され,
頭の弱い男に自宅を探知され押し掛けられ
愛猫を殺され,凌辱され,
互助会で知り合った男は気違いで,
殺した9人の女の生血を飲まされ,
頭の弱い男は性感染症持ちで,
感染症が発症した彼女は
映画「エクソシスト」で悪魔が憑りついて
アバタ面になったリーガンソックリに描かれ,
収容された病院で男性職員に家畜同然に食事を与えられ,
最後の心の拠り所たる「神」の姿が
派手にデコレーションされたネオンサインを発する十字架として描かれ
神父は彼女に「受け入れなさい」と説教し,
挙句孕んだ彼女は猫と人間の「合いの子」を産み,
猫面の殺人魔テッドに
「この子はパトリックの生まれ変わりだ」
と耳元で囁かれるのである。
本作品には他の映画でよくある様に
彼女を凌辱した男や猫面の殺人魔を
彼女がショットガンで撃ち殺すとか,
彼女に同情したハリー・キャラハンが
マグナムで彼等を撃ち殺すといった
「救い」が…「ウソ」が一切存在しない。
その代わりに
「余りにもピュアな感激屋過ぎて人を疑う事を知らない奴は
「救われない奴」であってそういう奴は未来永劫救われる事はない」
って「本当の事」が延々描かれてる。
ただ監督が余りに彼女が可哀想だからってんで,
途中から「彼女が見た悪夢」にしてるのである。
でもね。
「本当ににあった事」
は彼女は世を儚んで愛猫と同じ様に窓から身を投げても死に切れず
「観光名所」に来ていた奴等が「こりゃバズるぞ!」と言いながら
「彼女の死にそうな姿」を動画撮影してる光景なのだ。
ホントにね…マジでマジでマジでキツいのだ。
監督はキューブリックの「シャイニング」が好きだと言う。
キングの原作の「シャイニング」を引用するなら
「現在のクレアの姿」は次の様に描写出来る。
月の暗黒面(Dark side of the Moon)を引き摺り回された揚句に漸く帰還して
いまやっとバラバラになった「自分」を繋ぎ留めている人間。
だがしかしその断片は…それらは決して元と同じ様には繋がらない。
決して,この世界では。
特典映像の「ガチャガチャ」は…
大阪に住むガチャ命の女(日本人)とライバルのガチャ命の女(日本人)が
「当たり」を求めてガチャを回す話。
ガチャで「当たり」を引いたガチャ女がライバルのガチャ女に
これ以上無い位の「ドヤ顔」をして相手が泣いて悔しがるのが見所。
ガチャ女もライバルのガチャ女も幾らガチャを回しても満たされず
ふたりとも競って「次の」ガチャに向かう結末に
オタクの本質が描かれている。
監督は日本の会社に務め,5年在日しているという。
「日本人は「特別」であり特に日本人オタクの事は外国人には分からない」
なんて事,断じてないのだ。