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チャールズ・ブロンソン主演の「スーパー・マグナム」レビュー「ハードボイルドは死んだ…本作はチャールズ・ブロンソンのフィルモグラフィの汚点であると断言するッ!」

NYに舞い戻った「ワンマン自警団」カージー(チャールズ・ブロンソン)。
彼が旧友と会う約束をしていた街は
ストリートギャングが跳梁跋扈していて
警察は全くの無力の無法の街と化していて
旧友は強盗と化したストリートギャングに殺された直後で
カージーは駆け付けた警官に誤認逮捕される有様。
彼は警察署長から意外な依頼を受けるのであった…。

「狼よさらば」から始まる必殺処刑人シリーズの3作目。

何ですか,これ?

ユーフォの滝先生の様に呆れて物が言えない。
カージーは警察署長から内密に街に蔓延るゴキブリ共の始末を依頼されるわ,
彼を保釈させた女弁護士は最初から好感度100%で一度食事をしたら
もうメロメロになって直ぐパカッと股を開くわ,
街の住人は「見てよ!カージーさんがダニ退治してるわ!」と称賛一辺倒だわ,
黒人の少年は「イェーイ♪」と彼を褒めたたえるわ,

もうね。

80年代中盤では「ハードボイルド」って何の事か忘れられてしまい
カージーには妻子を殺された悲哀も
誰からも理解されない孤独も
妻子を殺した相手を殺した際の憂いも
何もかも皆無くなっているのである。

チャールズ・ブロンソンの「老い」は隠し様もなく
精悍だった肉体は加齢と美食の為に見る影もなくブヨブヨとなり
「走る」以上の激しいアクションが一切出来なくなっているのに
だっれっひっとっりっ「ソレ」に突っ込まない優しい世界。
ハードボイルドに!「優しさ」など不要なのである。

本作の本質はオイボレと化したブロンソンの接待映画であり,
もう勃起出来ない代わりに
御立派なマグナムを振り回していい気になっている
オイボレの為の映画…。
つまり水戸黄門観てオイボレが喜ぶ構造と相似形を成しているのだ。

テレ東曰く「コレが男の中の男」だとさ。
オイボレはもう「男」なんかじゃないだろ!

クリントイーストウッドは「自分がオイボレた事」から決して目を逸らさず「スペースカウボーイ」の様な
オイボレが活躍するシチュエーションを構築してるのに
ブロンソンは「自分がオイボレた事」から目を背け
「生涯現役」とか寝言を吐いているのである。

脚本は
「カージーが悪党を退治する」
以上のものが何もないスッカスカであり
敵役には人間的な深みが一切感じられず
「ガンシューティングゲームの的」
以上の値打ちは全くない。

本当に…本作はチャールズ・ブロンソンのフィルモグラフィの汚点であり
オイボレが「生涯現役」を振り回す醜さを見せつけているのである。

僕は「オイボレは映画に出るな」なんて言ってない。
「自分がオイボレた事」から目を逸らすなと言っているのである。
「事実」を受け入れられない人間に,どうして創作活動が出来るのか。
「現状認識」があらゆる創作活動の出発点だと僕は思うのである。

本作の示した功績はただひとつ。
「ハードボイルドは死んだ」
と言う事である。
老兵は!ただ消え去り行くべきであるのに,
「それ」に抗うと斯くも醜い映画が誕生するのである。

チャールズ・ブロンソン…オマエはもう狼じゃねえよ…。
オマエは豚に成り下がった…。
僕は今!「心根」の話をしているんだッ!




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