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映画「ノクタ」レビュー「「愛」は観念でも言葉遊びでもなく常に具体でありオマエにワタシのアソコにキス出来るかを問うているのである。」

VIDEO VIOLENCE RELEASING(VVR)というヒロシニコフさん個人が主催する
海外のウルトラゴアホラー映画をリリースするレーベルで
僕が最初に購入した円盤が映画「ノクタ」であり
ジャケットデザインを映画監督の佐々木勝巳さんが手掛けられている。
アニメオタクっぽいジャケットに「ノクタ」はアニメなのかと思ったが
「中身」は実写で,しかしながらノクタに「萌えた」事は確かで
佐々木監督は本作の「萌え」を忠実にジャケット化したのだと分かる。

その「ノクタ」がVVRさんから「新装版」として出ると言う。
「新装版」と言うのは書籍で言えばカバーを描き直して出版する事。

「中身」は変わったり変わらなかったり…。
だが「そんなこと」はどうでもいいのだ。

重要なのは!
装丁が変わったらソレは別物であり,
別途購入する絶対の必要がオタクにはあるという事実である。

「ノクタ」新装版のジャケットデザインを担当されたのは
イラストレーターのきっと<kit>さん。
それにしても…。

「作風」がぜんっぜん違うのである。
両者共に「ノクタ」を描いているのに
アニメの「ダーティペア」と
原作小説の安彦良和さんによる挿絵くらい違う。
一体…アーティストの目には世界は「どう映っている」のか…。

因みに「旧装版(佐々木勝巳デザイン)」と「新装版(きっと<kit>デザイン)」の両円盤の「中身」は同じである。

しかしながらジャケットが変わると
新鮮な気持ちで「ノクタ」を見詰め直したくなるから不思議だ。
本日未明から「ノクタ」新装版を視聴して次の様な感想を持った。

ノクタは重い生理に悩み苦しんでるのに,
エルンストはカラオケに夢中で「ノクタに捧げる歌」を呑気に歌っている。
下戸の彼女が騙されて酒を飲まされて吐いてるのに
エルンストと来た日にゃあ…
「ノクタが僕の愛の歌を聴いて吐いた」
と延々「自分の事」「自分の都合」しか言わない。
エルンストが彼女に
「永遠の光」だの「僕の天使」だの美辞麗句を投げかけても
彼女の心には微塵も届いていない。
彼女にとって重要なのは
「エルンストがワタシの事を全然見ていない」
「ワタシを見もしないで美辞麗句を投げかけている」
「ワタシが重い生理に苦しみ,泥酔して吐いてるのに
呑気にカラオケに興じてる」
事実でありパーティ会場の有象無象を皆殺しにするに足る理由なのだ。

終盤彼女はエルンストにチャンスを与える。
「ワタシは「永遠の光」でも「死の天使」でもない」
「クソもすれば屁もする存在なんだ」
「ワ・タ・シ・を・見・ろ」
「オマエが40過ぎても童貞なのは!」
「『父親のせい』なんかじゃねえよ!」
「オマエが人と…女と!キチンと接してこなかったせいだッ!」
「ワタシを愛してると言うのなら!」
「ワタシのアソコにキスして経血を飲んでみろ」
「汚くなんかないよなあ?」
「美辞麗句など…霊的繋がりなどクソだッ」
「肉欲的結合で…下半身の欲求で「愛」を証明して見せろ!」

キャストインタビューで「『ノクタ』ってどんな話?」と聴かれ
脊髄反射で「ボーイ・ミーツ・ガール」と答えていたのが印象深い。

本作は「吸血鬼映画」「大虐殺映画」「ゾンビ映画」「エクソシスト」
と通過して「ボーイ・ミーツ・ガール」に着地する稀有な作品であり,
ノクタが「怒る理由」が明確にされている「大魔神」である様に思える。
魔神さま=ノクタが怒り片っ端から人を殺すには理由があり,
怒りを鎮めるにはその理由を知る必要が…「対話」の必要があるのだ。

「人の話をキチンと聴け」
「「愛」は観念でも言葉遊びでもなく常に具体であり
オマエにワタシのアソコにキス出来るかを問うているのである」
が本作の主張であり
そもそも人の話を聴かないで交際もヘッタクレもないと
「当たり前の事」を言っているのである。

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