イベント ローカル×ローカルvol.10。テーマ「住みたいまちって、どうつくる?」一般社団法人リバーバンク代表理事坂口修一郎さんを招いて
こんにちは、一徹です。
2018年に南伊豆町に移住し、現在は宿「ローカル×ローカル」と漫画家をやっています。
こちらは、イベント「ローカル×ローカル」のレポートです。
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「地域おこし」「地方創生」って一体どういう状態だろう?
この企画は、そんな問いを持った僕が、さまざまなローカルで活躍する先輩たちを訪ねて、学んだことを報告するイベントです。
このイベントをやろうと思ったきっかけは、こちらをご覧ください。
前回(vol.09)では、熱海のまちづくり会社 株式会社machimori代表の市来広一郎さんを招きました。
話したテーマは「まちづくりって、何?」。その時のレポートはこちらから
vol.10は、体験型野外フェスティバル『GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズジャンボリー)』を主宰している坂口修一郎さんを招きました。
坂口さんに尋ねた問いは、「住みたいまちって、どうつくる?」です。
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坂口さんは、音楽・クラフト・アート・食・文学などを楽しむ年に1回のクロスカルチャー体験型野外フェスティバル『GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(以下:GNJ)』を主宰されています。
会場は、過疎化が進む集落にある、廃校になった小学校。
坂口さんが、このカルチャーを持ち込んだとき、地元の人にとって相当劇薬だったんじゃないかな(笑)。
一時は、会場の旧小学校が取り壊しになる動きもありました。ですが、坂口さんは地元の人たちとコミニュケーションを重ね、複合自然体験施設『リバーバンク森の学校』として再生させました。
坂口さんは、異なる文化が混ざり合うとき、どんな工夫や配慮をしたのだろう。それぞれの住みたいまちを、ありたい未来を、どうやって調整しているのだろう。お話を伺いました。
一緒に学びを深めてくれる学び仲間は日本仕事百貨の中川晃輔さん。
※ここからがイベントレポートになります。
自分たちの足元を見つめ直す
坂口 こんにちは、坂口です。僕らは鹿児島でGNJという小さなフェスティバルをつくっています。
坂口 会場は鹿児島市街地から1時間ちょっとのところです。旧長谷川小学校という明治18年にできた廃校を使っています。今は「リバーバンク森の学校」という名前で、地域の人たちと運営しています。
坂口 小学校の廃校でやっているので、こんなふうにトークイベントみたいなレクチャーがあったり、物作りワークショップがあったり、音楽ステージがあったり。大人も子どもも、ジェンダーや障害の有無もプロもアマチュアも関係なくフラットに交流できる空間を目指しています。
坂口 これは鹿児島のアート施設『しょうぶ学園』のパフォーマンスグループ『otto & orabu』。東京で活動しているアーティストも出ますが、地元アーティストと同じステージでやってもらいます。
坂口 なんでこんなことをしているかというと、僕は鹿児島にいた時、東京のほうが偉くて、田舎は何もないんじゃないかと思っていたんですね。
でも、本当にそんなことあるかなと。例えば、焼き物なんて東京のど真ん中で焼く人はいません。地方にもいろいろな文化があって、それを東京のほうが偉いとか、カッコいいとかではなく、自分の足元にも面白いものがあることを認めて、消費する。
僕らはこれを「文化の地産地消」と言ってるんだけど、そうしていけば都市と地方の体験の格差みたいなものは、どんどん無くなっていくんじゃないか。そのきっかけをつくりたいと思ったんです。
坂口 自分が生まれた所、もしくは自分が選んだ所に、居場所があるってどういうことかを考えると・・・。例えば、 隣の人が苦しいのに自分だけがいいというのは、居心地が悪い。
だから、隣の人にも居場所ができるといいなと思うし、そうするとみんなの居場所ができて、そこにコミュニティが生まれていく。そうすると、またその中に自分の居場所が生まれていき、ぐるぐる回っていく。
そのひとつの装置として、僕らはフェスティバル、祭りという形を取っているんです。そういう「それっていいよね」という価値観を共有する仲間がこの世界にどんどん増えていくと、その祝祭、フェスティバルみたいなものを通じて、またコミュニティに貢献することができる。
だけどそれは別に囲い込むのでなく、バラバラに広がっているという感じ。GNJをやることで、そこの中に自分もいるという姿が生まれているので、今年(2023年時点)で14年続けています。
ビジョン型と、レガシー型
坂口 さっき「コミュニティ」って、一言でポロッと言ってしまいましたけど、大きく2つあると思っています。例えば、自治体とか町内会の地域コミュニティって左側のイメージ。
坂口 僕らはこれをレガシー型と呼んでいます。地縁とか血縁とか、町内会とか自治体とか会社とか・・・。でもこれって、結構参加ハードルが高いじゃないですか。
例えば、そこに住まないと自治会に入れないし、消防団も義務的で辛かったり。人によって入ったり、入らなかったり。
一徹 僕は無理やり(消防団に)入らされました(笑)。
坂口 そう。こんな風に入らされることがある(笑)。伝統的なお祭りとかって、そういうコミュニティが支えていると思うんですけど。今、地域はそれだけでは立ちいかなくなっている。
一方で、GNJとか音楽好きが集まってくるフジロックとかのコミュニティというのは、居住地とかは全然関係ない。興味関心、ビジョンとか誰かの「こういうことがあるといい」に共感する人たちはSNSで全国関係なく集まって来る。
坂口 これを僕らはビジョン型と言っています。こういうビジョンを持って集まるコミュニティって、出入りが自由で、義務的じゃないんですよね。GNJはビジョン側。だけど、あの廃校をこれまで維持してきたのはレガシー側。
坂口 それまでは、お互い一緒になることが無かったんですよ。だけど2016年に熊本で震災がありましたよね。鹿児島はそんなに揺れなかったけど、こんなに古くて耐震補強もできない廃校は維持していけないと、まちの方針で潰されることになったんです。
一徹 そんな危機もあったんですね。
坂口 これまで全国からいろいろな人が来てくれて、僕らだけじゃなくあそこに愛着を持っている人も沢山いた。なので、なんとかしようと。
僕らは、ここでイベントを沢山やったらいいんじゃないかというアイディアもあったし、地元の人の中には学校を残したいという人もいたんです。
その時に、お互いが初めて交わることになった。そこでできたのが、周辺の地名の「川辺」を英語にして「リバーバンク」という一般社団法人を地元の人たちとつくったんです。一緒にこのまちの風景、記憶を残す活動をしようと。
坂口 僕らは結果的に、この廃校を年に1回借りてイベントをやるだけじゃなくて、会場ごと引き受けることになったんです。最初からいきなりまちづくりがどうこうと、考えていたわけじゃないんです。
一徹 でも、年に1回開催するフェスティバルを起点に、リバーバンクとして活動を始めた結果、いろんな広がりを見せていますよね。GNJの会場が自然体験施設にもなったり、他の廃校も改修されて新たな施設に生まれ変わったり、民家の空き家改修事業を始めたり。
坂口 そうですね。僕らは2018年から現在までで、集落の16の空き家を改修しています。1200人を切ろうとしている村に、今40人が増えました。東京でいうと、40万人が増えることになりますね。
一徹 (笑)すごいインパクトだと思います。
そこに自分の居場所がつくれるか。
一徹 今回の「住みたいまちって、どうつくる?」というテーマに対して、坂口さんが返すとしたら、どんな言葉になりますか。
坂口 僕はそもそもGNJをやっている川辺には住んでいません。鹿児島市内に住んでいるんですね。それは自分が鹿児島市内の出身だからもあるんだけど、川辺にはずっと通っています。
普通は住みたいまちっていうと、〇〇町とか、小さい単位で考える。だけど僕の場合は鹿児島県全体という感じで、もうちょっと広くエリアを捉えているというか。
もちろん、鹿児島というエリアは自分が住みたいと思ったので、去年東京から完全に移住しました。その時、先ほど「文化の地産地消」という話をしましたけど、僕は音楽とか映画とかアートとかが好きで、そういう活動が無い所に自分は生きていけない感じがするんですよ。
坂口 だから昔は自分の居場所は無いと思っていました。当時は自分でそれを生み出す力も無ければ、まちにもそんなものは無いって。だから鹿児島を出て行くしかない、と。でも今はネットもあるし、自分がやってきたこともある。自分で居場所をつくれると思えるようになったんです。
そしてそれをいいねと言ってくれる仲間がいるので、そのまちに暮らしていける。答えになっているかわからないですが、そんなふうに考えています。
中川 「住みたいまちは、〇〇町というよりは『鹿児島』」とおっしゃってましたよね。坂口さんが住みたいまちをつくるとなった時、まずは自分の好きなことが満たせないのなら、つくってしまおう、と。
中川 今そのスケール感が「県」という単位と「自分の身の周り」という話が出てきて。まだうまく咀嚼しきれていないです。
坂口 いわゆる行政区分は、あまり関係ない気がするんです。町おこしとか地域おこしというと、行政と一緒に組んだりするから〇〇町とか〇〇市となりますよね。
僕は行政区分の枠の中に住みたいわけじゃなくて、文化圏の中に住みたいと思っているんですよ。どういうことかっていうと、鹿児島市の隣町は南九州市と言っているけど、この言葉は平成の大合併でできて、最近なんですね。
なので、昔からある『川辺』という地名を僕らが『リバーバンク』と直訳しているのは、本来あそこは川がいっぱいあって、水がすごく綺麗な所なんです。湧き水も沢山あるし、お酒もいっぱい作っている。ということは、そういう食文化もあったりする。
坂口 けど、それを「南九州市」と言っちゃった時点で、それが消えてなくなっちゃう、というのはどうなのかなと。だからそういう意味で行政区分をあまり意識していないというか。自分で勝手に線を引き直している。自分でつくる感覚な気がします。
それで言うと、僕の感覚では八王子に行くよりも鹿児島に行くほうが近いんですよね。八王子がダメとかではなく、あまり馴染みがないという。僕は下北沢には長いこと住んでいたので、下北は近いという感じ。
中川 坂口さんの地図の中では距離感がある。
坂口 もっと言うと、池袋に行くよりも、鹿児島のほうが近い(笑)。
一徹 なるほど(笑)。それぞれ自分の中に地図というか、持っていますよね。この土地にはめちゃくちゃ縁があって、心理的にも近いというか。
何か種があれば、それは育つ
一徹 坂口さんたちの取り組みって、ただイベントをやって終わりじゃないというか。むしろ、ここで地域の人たちと関わりながら、ずーっと何かが始まり続けているというか。
川辺の未来をちょっと動かしている気がするんですよ。最初は保守的というか、無関心だった地域の人に対して、「こんな未来どうですか」って提案しているような。自分がやりたいこともやりつつ。そんなことできるのかと。
坂口 そうですね。結果だけを言うと、僕も聞きながら、なんか凄いことやっているような(笑)。
一徹 凄いと思ってます(笑)。
坂口 でも、決してそんなことはないんですね。
一徹 というのは。
坂口 僕がここに来る前から、既にこういう活動があったんです。ジェフリーさんというアメリカ人がいるんですが、彼は民俗学の研究をしているんですけど、ここで暮らしてもう20年になるんです。
坂口 農場小屋みたいなところに住み始めたと思ったら、民具を探し回って「このロープの編み方は凄い」なんて言ってね。ちょっと変態的というか(笑)。そういう人を、川辺の人たちは受け入れてきたんです。
だから、僕らがなにか凄いことをしたというよりも、受け入れる土壌があって、そこにまた一人ちょっと変わったやつが来たなという感じで。
要は、ゼロとかマイナスに掛け算しても、どんどんゼロやマイナスのままだけど、0.1でも何か種があれば、それは育つんだなと思います。
空気をつくる
一徹 ありがとうございました。では、ここで坂口さんを訪ねて、僕がグッときたこと(パンチライン)を発表したいと思います。
※会場に来てくれた皆さんにどの話が一番聞きたいか、①グー・②チョキ・③パーで挙げてもらい、一番多く挙がったパンチラインを深めていきました。
※この時は、「②空気をつくる=同じ風景を共有する」でした。
一徹 GNJを最初にやることになった時、地元の人は相当驚いたはずです。事前に坂口さんにお話を伺った際、「どうやって地元の人にわかってもらおうとしたんですか?」と聞いたんです。僕は、何かプレゼン資料や伝え方にヒントがあるのかなって。
一徹 そしたら坂口さんは、「まず同じ風景を共有することを大事にした」と言っていて。あの話の続きをもう少し聞かせて欲しいです。
坂口 最初に「GNJでは、音楽もクラフトもワークショップもありますよ」と言っても、地域の人たちが柔軟とはいえ、本当にわかんないわけです。「どういうこと?」みたいな。
なので、とりあえず「やらせてください、遊びに来てください」から始めました。それでやっているのを見て、「もうちょっと有名な人を呼んだほうがいいんじゃないか」と言われるわけです。
一徹 たとえば?
坂口 UAとか言っても、誰それみたいな。八代亜紀とかは来ないのかと。
一徹 なるほど、そっちですか(笑)。
坂口 そういう人が来てくれたら、客も来るだろうって。いや、僕らはそういうことじゃないって話になる。
それでも毎年どんどん人が増えてくるから、「ああ、こういうのが好きな人たちが全国から来るんだ」みたいな。
坂口 フェスティバルというのは、基本的にはカタカナだけど、要はお祭りですよね。「じゃあ、金魚すくいをやったらいいじゃないか」と言われるけど、僕らはそっちでもないんです、と。
一徹 あぁ。
坂口 金魚すくいは他でもある。僕らは、他でできることは、他でやってもらう。ここでしかできないことをやる。ここで暮らしているクラフトマンとかアーティストにいいパフォーマンスをしてもらう。
それを遠くからでも、価値観を共有する人たちが観に来るお祭りだと感じてもらう。それって、実際に人が集まって楽しんでいる姿、その風景を見せないとわからないわけです。
坂口 そうすると「こういう空気感なのね」とわかってくる。体験を共有するのが大事だと思っています。だけど、時間がかかるんですよ。凄く、凄く時間がかかる。
一徹 坂口さんも地域に出向いて、こんな感じでいきたいんですって、説明するんですよね。
坂口 一応説明しに行くわけです。その努力はします。ただ都会でプレゼンするのと違って、筋道を立てて論理的に説明しても、なかなか通じない。いや、通じないというか「それはわかるけど、なんでそれをここでやるのか」「なんで、うちのまちでやるのか」「何がしたいんだ」と。
坂口 じゃあ僕が「大事なことは3つあって」とロジカルにプレゼンしても響かないというか。ということは、例えば僕がプレゼンしたことをGNJのメンバーがそのまま言っても彼らには響かない。僕の言葉をトレースしただけですから。
先ほど「小さな一人称で語るのが大事」と僕は言いましたけど、みんなに自分の言葉でGNJの在り方を話して欲しいんですよね。自分はこういうふうに解釈している、自分はこう思うと。
そうなってくると、地域の人も他の人から聞かれた時に「あの人たちがやろうとしていることは、こういうことだと思うよ」って。それが広がっていくのが「空気をつくっていくこと」なのかな、と。
一徹 それぞれの言葉で語れると、自分ごとになって、そこに空気が生まれていくのか・・・。それって、どうやってできていったんですか?
坂口 最初はチーム内で、10ヶ条みたいなものをつくったことがありました。
一徹 これを守りましょう、みたいな。
坂口 そうそう。だけど、10じゃ足りなくなって(笑)。
一徹 そうですよね(笑)。
坂口 足りなくなるし、「この時はどうする」みたいな感じになっていく。
一徹 ルールがどんどん増えていく(笑)。
坂口 そう。だけどそれって、違うよなって。なので、僕らは在り方を3つくらいに絞ったんですよね。
坂口 それからは、例えば企画のアイデアを出すときに「それは鹿児島市内でやったほうがいいよね。それよりは、南九州特有の木のエキスで染物しよう」みたいな感じになっていった。それは僕がこうしてくれと言ったわけでもなく、みんなが考え出していった。
一徹 それは、スローガンとは違うんですか。
坂口 スローガンのほうが、わかりやすいし、素早く伝わっていくと思うんだけど僕はちょっと違う気がしていて。スローガンとなると、たとえばイベントを企画する時に、しなきゃいけないTO DOリストが積み上がっていくんです。
もちろん、TO DOは絶対に必要なんだけど、そのTO DOの前にTO BE(どう在るか)が必要。何のために自分たちはこんな膨大なタスクを抱えているか、それはTO BEを完成させるためだよね、と。
一徹 例えば、地域で何かをしようとなった時に、まずはTO BEを言語化してみるのが大事?
坂口 んー言語化よりも、まずは行動してみる。行動してみて、その後に「あの行動は何だったか」を言語化してみる。言葉が先に来ると、どうしても言葉に縛られてしまう気がするので。
まず行動をして、自分はこういうふうにありたいんだ、と。それで「あの時やった、あれはどういうことなんですか」と言われた時に、一生懸命考えるという。そっちのほうが自分には合っているんです。
凸凹は、凸凹なままで
一徹 表明する、行動していく、でいうと僕は消防団に入りたくないけど、入らされたってのがあって。他の地域団体にも、なんかこのルール嫌だな、とか微妙に違和感があるものはあるんです。
「自分はこういうところは嫌だな」ってことを言葉じゃなくても、何か振る舞いというか、態度で表明していこうかなと、お話を聞きながら思いました(笑)。
坂口 消防団はなんで嫌なの?
一徹 多分、もともとの地縁が積み重なったレガシー型コミニュティに入るのが怖いんだと思います。何か強制力があるんじゃないかとか、ノーが言えなくなるんじゃないかって。
坂口 しがらみみたいなところね。
一徹 そうです。自分のフィールドを守りながら、ちょっと開くって難しい。以前、それで悩んでいることを坂口さんに話したら「同調して同化していくと、多様じゃなくなる」と。
だけど「同化しないで、自分のやり方を一切曲げないのも分断を招いてしまう。でも、この塩梅に方程式はない」と。僕はそれを聞いて、あぁ、やっぱり正解はないかぁって(笑)。
坂口 そうですね。地域によって状況は異なるし、方程式はないと思う。ですが、さっき移住者が40人くらい来たと言ったじゃないですか。そのなかの一人にディーン君っていう若い子が東京から引っ越してきたんだけど、彼は消防団に喜んで入ったんですよ。
一徹 おぉー!
坂口 アメリカだとファイヤーファイター(消防士)はめちゃくちゃ尊敬されるんだって。アメリカだったら、絶対消防士になれないけど、ここだったらなれるのかと。
一徹 んー。僕はその消防団に入る、入らないってより、「郷に入ったら郷に従え」の雰囲気というか。地域との関わり方、バランスというか。どう地域に入っていけばいいんだろうってことが気になっているんだと思います。
一徹 たとえば坂口さんがGNJをやろうとした時の話に戻りますけど。地域の人の「八代亜紀を呼んだらいいんじゃないか」というアイデアに、本当は嫌だけど忖度して呼ぶことになったら、坂口さんもしんどくなったと思うんです。そこのノーと言うバランスってどうしたのかな、と。
坂口 八代亜紀は無理ですね、と。
一徹 ちゃんとノーと言った。
坂口 できないことは、できないと言う。その代わり、他でできることを探したり協力しますと。もちろん何かをしなければ、というのはあります。でも無理すると続かなくなっちゃうから。
一徹 そうなんですよね。
坂口 以前はここもコミュニティ活動というか、地域活動や草刈りは常に出なきゃいけなくて。それが辛くて出て行っちゃう人がいたんですよね。さっき紹介したジェフリーさんもそういう経験をしてきたんです。
だけど、ジェフリーさんが「昔みたいに地域のやり方に従えみたいな感じは通用しない。だから、できる限り、できることを」と言ってくれているんですよ。
坂口 そういうことを彼が言っているので、全く地域に関わらない人もいるけど、ディーン君みたいに消防団に入れて嬉しい人もいる。
そういう人はやればいいし、苦手だという人は、それでいいよという空気があるんだと思います。だからここに移住者が来ているのかもしれないですね。それって僕がどうこうというより、そういう空気がこの地域にあった。それはラッキーだなと思います。
一徹 「できる限り、できることを」って凄くいいな。僕の場合、消防団活動は消極的だけど、集落の班長が回ってきたんですが、それはやったんです。商工会青年部もまぁ、できるかって(笑)。
ただ、できることはやるけど、強制力がでるコミニュティはしんどいんだなって今、自分自身がわかって。だから僕なりにノーを表明していくのは大事な気がしました。
坂口 僕らもできること・できないことってあるし、その中で得意なことがある。反対に、僕らにできないことで、彼らができることもある。
だから「お互いに凸凹があるわけだから、全員を同じ形にしないで、凸凹のままにしましょうね」と話はしています。それを聞いてくれるようになった感じはありますよね。
一徹 凸凹のままでかぁ。やはり、年月がかかる?
坂口 そうですね。それは長く付き合っている中で、この人は簡単に逃げないと思われると、苦手なことをやらせてもしょうがないってなっていくんだと思う。
もちろん、ジェフリーさんみたいなアメリカ人がいたのは大きいけど、彼もできないことはできないということを徹底している。それに周りが慣れていった感じはあるのかもしれないですね。そういう在り方に。
一徹 在り方・・・。
坂口 在り方というのは、例えば移住者が増えたり、僕らみたいに住んでいないけど、ずっと関わっている人がいたり。いろいろな人がいるようになった。そうなると、昔みたいな地域活動ではやっていけない。そんなふうになってきていると思いますね。
空気をつくっていく、努力はできる
一徹 それでいうと、①「(理解できないけど)ちょっとだけやってみよう」が、あるかにも繋がる気がします。当初、GNJをどのまちでやるかの段階で、川辺だけが「よくわからないけど、やってみなよ」という土壌だったと。
坂口 正確に言うと、他の地域は「よくわからないからダメだ」と言って、ここだけは「よくわからないから、やってみろ」だった(笑)。
一徹 その土壌って、でかいですね。
坂口 それはデカかったと思います。本当にデカかった。僕がいろんな地域を見ていて、徳島県神山町もやはりそういう空気があるのだろうなと思う。
でも、今度はそういうところに人が集中しちゃうんですよね。じゃあ、そういう所に行くしかないのか、という話で終わってしまう。僕は、そういう空気をつくっていく努力はできると思っています。
一徹 まずは一人から空気をつくっていくことはできると。
坂口 自分がどうしたいかを表明するというか・・・。でもいきなり「私は世界のために〜」とか言っても、お前はなに言ってるんだ、となるじゃないですか。
一徹 そうですね(笑)。
坂口 いくら自分がどうしたいかを細かくしていったとしても、「この地域であなたは何をしたいの。なぜそれをしたいのか」が抜けたまま話をしちゃうと、苦しんだりするので。
僕はこうしたいんです、その先に地域がよくなったら、それはそれでハッピー、ということだと思うんですけどね。
一徹 これも以前、坂口さんに伺った話ですが、「究極の利己は利他になる」みたいな。まずは自分がハッピーであることが大事だと。
坂口 自分が苦しい思いをして「地域のため」と言っても続かないでしょ。
一徹 続かないっす。
坂口 そもそも苦しそうにやってる人のいるところには、あまりいたくない。苦しそうだなって近寄ってくる人って、それはそれでどうかと思う。どこに楽しさみたいなものを見出すか、なんだと思います。
ディーン君は「俺、ファイアーファイターになっていいんですか?」みたいな感じで、そこに楽しさを見出してるじゃない。
一徹 そうですね。楽しさを見出しているし、それを表明しているから周りも「へぇー、ディーン君はこれが楽しいと感じているのか!」とわかってもらえているのも、いいですね。
坂口 そうでしょうね。自分たちの実績がどうこうと言うつもりはないけれど、地域の人たちは「ここをこんなに楽しむ人がいるんだ」という状況を10年以上も見ている。それもひとつあるかもしれないですね。以前は、「自分の住んでいるところは何もない」と一言目の次には言っていたので。
一徹 田舎あるあるですよね。
坂口 最初は「この古ぼけた学校のどこがいいんだ。潰したほうがいい」と言う人がいっぱいいた。だけど今は「この学校いいでしょ」みたいなことを地域の人たちが言うようになった。
時間をかける
中川 一徹さんの今の課題感で「自分の好きな人たちと、やりたいことをやって、成長すれば地域で目立つようになる。だけど、目立てば目立つほど、そこに住んでいる人たちとの間に壁ができていくのでは」と危惧していましたよね。
一徹 うん。
中川 それでいうと、もともと川辺は、地域の中で何かやってもいいという土壌があった。そこはジェフリーさんのおかげである程度、解消されていったのかなって。
そういう意味で、川辺が運が良かったのか、坂口さんも意識して、そういう壁ができないように気をつけていたんですか?
坂口 運が良かったとは思うんですけど、特別ではないというか。この言葉を使いたくないけど、ここって限界集落の代表みたいなところなんだけど、地域の人たちは限界だと思ってないの。限界ってなんのことって。
畑で採れたものを食べて、いまだに薪風呂の生活をされている80、90代のおじいちゃん、おばあちゃんたちです。限界と思っているのはこっちばかりで、活性化しなければと思っているのもこっちだけだったりする。人間が死ぬのと一緒で、集落がなくなっていくのはしょうがない。達観しているんですよね。
中川 存続しようと、もがいている感じでもない。
坂口 そんなにもがいている感じでもない。だけど、まだ生きているのに経済的な理由で、いきなりその人たちの生活がバツッと打ち切られるのはおかしい。
今、彼らはそれで楽しく暮らしている。では僕らも何か新しい違ったものを持ち込めば、一緒にもっと楽しくできるかも、とか選択肢をちょっと増やしておきましょう、という話をしています。
だから彼らの目線で、彼らが何を楽しいと思っているか、そばに寄り添って考えるというか。例えば、亀とか金魚を見ながら「いいですねー」なんて言っているうちに、「こういうのも楽しいんですよ」とか話して「あぁいいね」なんて話になったりする。
そういうところから、じわじわやるしかないのかな。頑固な人だっているし、みんなが柔軟なわけじゃない。けど、そういう一つひとつに寄り添いながら時間をかけることが必要なんじゃないかな。1、2年でこんな風になったわけじゃないよ。
多様性は、おいしい味噌汁?!
一徹 じっくりやっていくことで、地域の人から「こういう楽しみ方、やり方もありなんだ」という選択肢が広がっていくんですかね。では、最後の③手垢はついているけど・・・多様性は絶対大事について聞きたいです。
坂口 多様性って、1日に2回くらいは聞くけど、多様性を認めることは、カオスになっちゃうんですよ。何でも有りだから一旦、無法地帯になる。でもそのカオスから、何か形が立ち上がってくる瞬間ってあるんですよね。
これは西会津CDOの藤井さんから教えてもらった話なんですが、安定して持続するコミュニティの状態を「一番おいしい状態の味噌汁」と喩えているんです。
坂口 お味噌汁がおいしい時って、上のほうが冷やされているから対流ができるんです。対流ができると、その形が見えてくる。もやーっと形が見えて、温かくてじわーっと、あのイメージ。これを『散逸(さんいつ)構造論』と教えてもらったんです。
坂口 要は対流が起きると、一見カオスでぐちゃぐちゃ。だけど、バラバラじゃなくて、何かそこに動きが生まれて、構造が見えてくるんです。
いろいろな人がいてバラバラだけど、熱を加え続けると対流が生まれていく。すると、いろいろなものが入ってくる。ひとつの空気みたいなものができていく気がするんですよ。
だけど、先に構造だけ作るのはよくない。たとえば箱物をただ作っても、現実と合わなくて上手くいかない。先に法律とか規則を作って、みんなで守ってくださいっていうのも絶対に無理が生じる。違うと思っても、やらなきゃいけない。それは苦しくなるじゃないですか。
なんか勝手にやっているんだけど、この時は集合しないといけない、とか。緩やかなそういうものがあって、そこに向けてぐるぐる回転していくイメージです。
だからお祭りの機能って、そういうところがあると思うんですよ。例えば、祭りによって地域の色が変わっているじゃないですか。だんじりをやっている所もあれば、山笠の所もあれば、新しくフェスが始まったところもある。
坂口 やはりそれをやっているとまちの空気というか、雰囲気が変わっていく。もちろん、合わない人は出ていってしまうかもしれないけど、それにいいなと思った人が新しく入ってくる。そういう対流が生まれる。
それは別にお祭り、フェスティバルという形じゃなくてもいい。たとえば宿で何ができるかであったり。そういう活動があると、そこに動きが生まれてくるんだと思います。
中川 ありがとうございました。GNJを見てみたいなと思いましたし、見た上で今日のお話を振り返りたいと思いました。今回、僕がひとつ持ち帰りたいなと思ったのは、地域の課題感とか、川辺は運が良かったんじゃないか、とか・・・。ついついそこにフォーカスして、それをどう解決したかにいきがちなんですけど。
楽しさに寄り添うとか、そっちについていくみたいな、それを一貫して感じました。そこからほぐれていって解決していく課題とか、対話しやすい関係性ができて、そこから転がっていくものがあるんだと。凄いシンプルだし、当たり前かもしれないですけど、それを凄く地道にやり続けていたから、今があるのかなって。
坂口 ただこうやって話していると、凄い上手くいっているように見えると思うんですね。なんですけど、決してそんなことはないんです。僕らが何か課題を解決したかというと、まだわかんないですよね。
楽しいことはやっていると思いますよ。でも、当然楽しいだけじゃなくて、苦しいこともいっぱいあるんだけど、成功事例のコピぺなんて何の意味もないので。ここに来てくれれば、ここは上手くいっている、ここはまだなんだとかが見えると思うんです。
だから本当はそういうことこそシェアしたいなと思いますね。まだまだ上手くいっていないし、運が良かったこともある。でも、それだけじゃないということもあるし、みたいな。
だから僕の話って、スカッとこれで地方創生ばっちり、みたいな感じにはならないと思うんですよ。
一徹 GNJをやればいいということじゃない。
坂口 そうです。多分ですけど、私たちはこれで地方創生ばっちりみたいなところって、どこにも存在しないと思いますよ。神山みたいな有名な所もすごくみなさん悩んでいる。一発でぽーんと上手くいっているわけじゃない。
上手くいっているように見えれば見えるほど、光が強ければ、影も強くなって、というものもたくさん見てきたので。だから本当にそこにある地域に寄り添って、ずっと一緒に歩いていくことしか僕はできないと思っています。
一徹 事業を5,6年やりながら、地域にどうやって入っていけばいいのか悩んでいたんですけど。悩むものだということを再認識して、自分ができることを、できる限りやっていくしかないって思いました。
その上で、自分の振る舞いとか、在り方の表明とか、やりようはあるんだろうな。それは僕のSNSの発信なのか、僕が描いているイラストなのか。坂口さんの場合、それがGNJから始まって派生していったのかなと思いました。今日はありがとうございました!
編集後記
<<ローカル×ローカル バックナンバー>>
vol.0 「はじめに」〜先輩たちを訪ねて、学んだことを報告します〜
vol.01 「人が増えるってほんとに豊かなの?神山つなぐ公社理事 西村佳哲さん
vol.02 「効率化ってほんとにいいの?」真鶴出版の川口瞬さん・來住友美さん
vol.03 「文化ってどうつくられる?」群言堂広報誌 三浦編集室 三浦類さん
vol.04 「好きと稼ぎを考える」 株式会社BASE TRES代表の松本潤一郎さん
vol.05 「地域のしがらみ、どう超える?」長野県塩尻市市役所職員 山田崇さん
vol.06 「いいものって、何だろう?」デザイン事務所TSUGI代表 新山直広さん
vol.07 「事業ってどうつくるの?」greenzビジネスアドバイザー 小野裕之さん
vol.08 「 体験を、どう届ける?」キッチハイク代表 山本雅也さん・プロデューサー古屋達洋さん
vol.9 「まちづくりってなに?」株式会社machimori代表 市来広一郎さん
vol.10 「住みたいまちって、どうつくる?」一般社団法人リバーバンク代表理事 坂口修一郎さん
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