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谷川くん。

いまではこんな捻くれ者の俺でも、
小学生時代には友達が数人いました。
その中でも一際印象的な友人の話をしようと思います。
掠れた記憶を呼び覚まして書いていきます。
一部事実と異なる場合がある上、相当な長文です
それでもよければお付き合いください。

今の半人間不信は、彼との交流に端をなす様な気がします。


俺は小学2年生の春に、京都市の都会から、京都南部の田舎に引っ越しました。
そこで、彼と友達になりました。
俺は小学生の頃から酷く内向的だったのですが、
彼はそんな俺に積極的に話しかけてくれました。
これから、仮に、彼を谷川と呼ぶとします。

谷川は団地生まれでした。
若くして結婚したガラの悪い両親の間に生まれ、
彼もまた同様に、ガラが悪かったです。
傷んだ茶髪が無造作に伸び、いつも黒い服を着ていた彼からは、他の同級生からは嗅いだことのない、香水のきついにおいがしていました。
谷川は、俺が田舎に引っ越してきて初めてできた友人でした。
谷川と俺には共通の趣味がありました。
2人とも、生き物が大好きでした。
俺は虫が、特にクワガタムシが好きでした。
そして、谷川は自分よりも小さい生き物が全て好きでした。

初めて出会ってから、
休み時間での他愛のない会話、放課後に公園で鬼ごっこなどを繰り返すうち、互いに親睦を深めました。昼休みには校庭で、クラスのみんながドッジボールをしている中、俺と谷川は蟻の行列を観察していました。
谷川は、蟻を潰して遊んでいました。
ちなみに、彼は意外に勉強ができて、頭の悪い俺によく算数を教えてくれました。

引越しから暫く経って、
酷暑を誤魔化すかの様に空の青さは深まって、
蝉の鳴き声がうるさく響く季節になりました。
異様なほど、暑かったことを憶えています。
小学校二年生の夏休み、一緒に遠くに虫を取りに行こうとなりまして、2人で自転車に乗って大きな墓地公園に出かけました。
そうして虫取りは始まりました。
太陽が沈んで蒼天が茜色に染まる頃には、
汗まみれで互いに取った虫を自慢し合いました。
夕方5時のチャイムも耳に届かないほど、
虫取りに熱中していました。
俺は黒い大きなクワガタムシを、
谷川は真っ赤なノコギリクワガタをそれぞれ
捕まえました。
いつもなら5時半くらいまでには家に帰っていたので、俺は相当焦りましたが、
谷川は平気そうでした。帰りが遅れても、
彼を心配する人など誰もいないかの様でした。
流石に帰ろうと、成果物たちを無理やりそれぞれの虫籠に詰め込んで、
自転車を漕いで帰りました。

そんな帰り道にふとコンビニに寄りました。
そこで俺は、谷川がお菓子を万引きしているところを目撃してしまいました。
今振り返ってみれば、小学生のお菓子の万引きなど、特別な大事件というわけではないのですが、当時の俺には衝撃的でした。
しかし俺は生来の小心者である上、
若干の苦手意識を抱えていた
ガラの悪い谷川にそれを指摘することはできませんでした。
谷川は盗んだハイチュウを分けてきました。
俺にそれを拒む勇気はなく、食べてしまいました
そして深い罪の意識を背負うことになりました。
後ろめたさとは反対に、時間は進んでいきます。
もうすっかり暗くなっていました。
早く家に帰らなければなりませんでした。

普段より2時間以上遅くに、家につきました。
両親からは開口一番に叱責を受けました。
やはり、帰りが遅くなりすぎたことが原因の様でした。
俺は家から閉め出されてしまいました。
谷川の万引きに半分加担したこと、
帰りが遅くなって両親を心配させたこと。
二つの罪悪感が、夜の静けさと共に
深く染み込んできました。
閉め出されていた十数分間は、
子供の俺には永遠の様に感じられました。

翌日、谷川は家にやってきました。
昨日のことなど、彼にとってはなんでもない日常だったのでしょう。
いかにも普通の人間ですといった顔をして、俺の家のインターホンを鳴らしています。
でも、当時の俺からすれば、谷川はただの犯罪者でした。
しかし、無視による報復を恐れた俺は
恐る恐る玄関のドアを数センチ開けて、
隙間から顔だけ覗かせました。
彼は、昨日取ったクワガタムシのうち、
どちらがより優れているか決めようと言いました。
俺はもはや谷川を恐れていたので、
当然断れるわけもなく、その誘いを受け入れました。
言われるがまま家の外に虫籠を持っていき、
二匹のクワガタムシが争いを始めました。

結果から言うと、
俺のクワガタムシが勝ちました。
黒く平たい大顎が
彼のノコギリクワガタの体を掴んで、
真っ二つに両断しました。
赤い体から乳白色の体液がドロドロと流れ出していました。
この光景を目の当たりにして、俺は不覚にも、
やった、と、思ってしまいました。
俺のクワガタムシが谷川のものより優れていたから喜んだのではありません。
俺のクワガタムシが、相手の赤い体と一緒に、
2人の繋がりも断ち切ってくれたのではと考えたのです。

谷川はきっと怒って、俺はいっときの谷川からの暴力を耐えれば、これでこの漠然とした罪悪感が終わるんだと考えたのです。
しかし、谷川の反応は、予想と違っていました。
彼の顔には怒りも、悲しみもありませんでした。
彼はただ冷静に、赤いクワガタムシだったものを片付けていました。
そうして、羨望と恍惚の入り混じった眼差しで
俺のクワガタムシを眺めていました。
俺は本当に恐怖のどん底に落ちました。
彼は正気ではないと思いました。
この怪物と自分は違う生き物で、根本の倫理観から違っていると感じました。
俺が恐怖で戦慄していると
谷川は淡々と、昼ごはんを家で食べるから、
午後からまた会おうと言いました。
とにかく頷きました。一刻も早くこの怪物から距離を置きたかったのです。
家への帰り道の途中で、
俺のクワガタムシは干からびて死んでいました。
家に帰っても、あの光景が何度もリフレインしていました。昼ご飯のサラダにかかったマヨネーズが、クワガタムシの体液の様に見えました。
谷川は午後にも遊びに誘いにやってきましたが、俺は母親に頼んで断ってもらいました。
そうして俺は谷川から距離を保つ様になりました。

夏休みが明けました。
学校への道のりは無限の様でした。
通学路は陽炎で歪んで見えて、行くべきところが何処なのかもわからなくなりそうでした。
久しぶりに会った谷川は、やはり何事もなかったかの様に接してきます。
あからさまに拒絶するわけにもいかないので、
曖昧に返事をします。
いつもの様に昼休みがきて、みんなでグラウンドへ出ました。谷川はミミズを踏みつけて、もがく姿を興味深げに見つめていました。
谷川は、自分よりも小さい生き物が好きなのだと無邪気にいいました。
そういえば、俺は谷川より華奢でした。


時間が流れて、のらりくらり谷川との関係をやりくりするうち、2年生も終わる頃に谷川は引っ越していきました。谷川本人も引っ越す理由がよくわかっていない様でした。
今思えば、家庭の事情だったのでしょう。
その後、彼がどこに行ったかは知りません。
時折彼のことを思い出しては悪寒がします。
今もどこかで、小さな生き物を虐めていないといいのですが。

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