現代詩「メルヒエンだろうか」(メルヘン宣言)
諸君、私はメルヒエンだろうか
ある日、少女が歩いた森の中で
出会った者がメルヒエンなのだ
老醜の魔女かもしれない
毛深き野獣かもしれない
その実、野獣が王子様かもしれない
ロンドンのLCが
無垢の少女をメルヒエンの孔穴に滑落させて
残酷かつ奇態な、荒唐無稽の物語が始まって、
つまり少女はメルヒエンなのだ
ならば私は?
孔穴に落ちた私、の物語はメルヒエンとなり得るか
メルヒエンよ、メルヒエンよ
北風のテーブルクロス 三つの甘橙 想念の速度で駆ける靴
英雄の凱旋 月夜のロマンス さかしまの智恵比べ
私の靴下はメルヒエンになりますか
早く洗濯機に入れ
お前など
孔穴に落ちてワタクシの肉体が変容する矜持もかつての高潔もあと記憶力とかも
居場所はなかった 何処にも
メルヒエンよこの国はいつから居場所を求めない
(諸君に問うらく卿はメルヒエンの徒であるか)
おっさんの皮を脱ぐと王子様かもしれない
王子様の皮を脱ぐと狼かもしれない
狼の皮を脱ぐと私かもしれない
その実、私がおっさんかもしれない
おっさんじゃない、私は
メルヒエンだ、私は、
メルヒエンよお前は争闘するか
野晒の磔刑となりて
打つか私を私の隣人を花冠の者を
踏みにじるか私を私の隣人を花冠の者を
滅ぼすか雨を降らせて
メルヒエンよ、メルヒエンよ
メルヒエンよこの国はいつからお前を求めない
(現代詩「メルヒエンだろうか」 村崎カイロ)
と、いうわけで私はメルヘンになります。(メルヘン宣言)
https://www.andersen-group.jp/meruhen36/application.html
アンデルセン(パン屋)の第36回メルヘン大賞。
一般部門・・・8,000文字以内
2018年10月1日(月) 〜 2019年1月10日(木)(当日消印有効)
作品テーマ・・・身近な暮らしの中で感じたこと、感動したこと、想像したことなどを自由に綴ってください。
大賞1名
副賞30万円・デンマークペア旅行・第36集アンデルセンのメルヘン文庫・パンを楽しむギフトセット他
優秀賞3名
副賞10万円・第36集アンデルセンのメルヘン文庫・パンを楽しむギフトセット他
入賞5名
副賞3万円・第36集アンデルセンのメルヘン文庫・パンを楽しむギフトセット他
メルヒェンとは(コトバンクより引用)
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%92%E3%82%A7%E3%83%B3-1600347
本来の意味は、小さい話。したがって伝説、寓話(ぐうわ)、笑話、聖者伝など、口伝えの短い話全体をさしていた。ドイツのロマン派の詩人たちやグリム兄弟の用法によって、ロマンチックな、あるいは幻想的なおとぎ話をさすようになった。現在でも、創作メルヒェンと伝承的メルヒェンの違いは区別されている。
創作メルヒェンには、ホフマン、ノバーリスらの作品があり、現代でも、レアンダー、ウィーヒェルトらは、メルヒェンと名づけた作品を残している。
伝承メルヒェンは、日本語で昔話とよばれているものにほぼ相当する。口伝えの文芸であるため、創作文学とは異なる様式的特徴をもっている。主人公や物を孤立的に設定することを好む。王、一軒家、ひとりっ子など。そして同時に、極端さを好む。王は上の極端であるし、極貧者は下の極端として語られる。美しさ、強さなども極端にいう。時間、場所、条件がしばしば一致する。偶然の一致ではなく、特有の様式なのである。繰り返しは3回であり、毎回ほとんど同じことばで繰り返される。肉体などを立体的に記述せず、平面的に記述する。それゆえに、腕の切断などの事件が容易にメルヒェンのなかに取り入れられるのである。これらの性質をまとめると、メルヒェンは抽象的様式をもつ文芸といえる。[小澤俊夫]
『マックス・リュティ著、小澤俊夫訳『昔話――その美学と人間像』(1985・岩波書店) ▽宮下啓三著『メルヘン案内――グリム以前・以後』(1982・日本放送出版協会)』
私はメルヘンになります。
なんか悪戯者のきつねがねえ、家の前をチョロチョロしていて、鉄砲で撃ったら、栗が散らばっていて、「ごん、お前だったのか」みたいな事を茂平みたいな名前の人が言う物語を書きたいです。
(※今回の記事は新美南吉賞とは無関係です)
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