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子と親。私の思考整理と「手段と目的」のはなし。

日々、自分が大切している思考と実践を振り返っておこう。

子育てにおいて
子どもが、いわゆる
【よくないことをしたとき】

親は「怒る」「反省させる」「ごめんなさいと言わせる」がゴール(目的)になってしまう事がある。

でも、これが本来の目的でないのは冷静になればわかる。
本来の目的は、なぜそれが良くない事なのかを本人に考えてもらい、本人が考えて行動する力を育む事なのだと思う。

怒るという行為を繰り返すことで
【子は親が怒ることはしてはいけない】と学習し
結果【親の顔色、他人の顔色を常に気にして生きていく大人】に育つ

今、幼い子が起こしてくださる日々の
トライ&エラーを「正さないと、この子が困ってしまう」という
それも親心で厳しく接したその先に

【自分で決められない大人】が育ち

何年後かに「なぜ、この子は自分で決められないか?」とまた悩む。

元を辿ると、それがこの幼少期の親の教育にあったとすると…
なんとも言えない気持ちになる。

なぜなら、それはすべてその子を思い関わっているからである。
ここに「愛」や「教育」や「支援」の難しさの本質がある。

今の関わりが短期・中期・長期という軸で
どのようにその人に影響を与えるかを
考えて、とくに子どもについては
感受性が強く、毎日が濃い。
そんな日々の中で、どう長期を見据えた関わりをするかが、また難しいのである。


このようなケースで悩むとき!

①まずは【目的・ゴール】に立ち返る。

例えば自分なら

・この子は、どんな大人になりたいか。人生をおくりたいか。それを自分で言える大人になって欲しい

・「人生って色々あるけどやっぱり幸せー!」って思って生きて欲しい

・なんくるないさ〜、の生き方をして欲しい

・とりあえず、やってみようと行動できる生き方をして欲しい

そんな大人に育てるのが目標。
→ざっくりで良いと思う。
→日々の成長の中で具体的にしている段階で少しずつ具体的にしていく前提。

②【目的・ゴール】を達成すための【手段・アプローチ】を考える


◉自分で考えて行動するアプローチ
→朝ごはんでいうと「今日は何食べる?」て聞いてみるとか。土日なら「今日は何して遊ぶ?」とか
んでもって、それをなるべくバイアスかけずにトライさせる。一緒にやる。

例えば先日の土曜
起きてすぐの息子に「なんかする?」と聞くと「自転車でお外にいく」というので、朝からサイクリングへ行く。
途中、コケたり散歩してるおじいちゃんと話したり、色々ある。
途中「お腹すいたー」となる。
「何たべる?」も聞くと「すき家の牛丼」とCM風に言うので、すき家までいく。
ちなみにすき家までは結構遠いけど、息子にはその距離感は分からない。
帰り道、想定通り、「疲れたー。もう無理」と道に座り込む。「どうしたらいいかな?」と聞くと、休むというのと近くにある知り合いの家に行くという判断をする。
そんなこんなで気づくと家を出てから3時間経っていた。

こんなアプローチを意識している。
※全然毎回出来てませんけど!笑笑

◉人に頼ってもいいと感じてもらえるアプローチ
→お店とか駅とかで、分からない事は親が店員さんに聞く姿を見せる

親として、上に掲げた目標通りに生きる。在り方を意識する。

実は、最後の【在り方】が1番大切なのではないかと思っている。

③人を変えたいと思うなら、自分の在り方を徹底的に意識する

子の親から受ける影響は、本当にビックリするほど大きい。
「子は親の鏡」とは、その通りだと感じる日々。

この子と親というのは
実は、生徒と教師/支援者と利用者/上司と部下

そんな関係性の中で
全てではないが通じる所があるように思う。

自分の周りにいる人こそ
今の自分の近しい人・同質なのだという話も聞いた事がある。
日々の在り方が、私達の現状を作っていっているのかもしれない。

自分の近くに居る人が困っていて
助けたい。なにか力になりたい。
そんな気持ちが湧いたとき

1番やらなきゃいけないのは、最終、自分自身の在り方なのだろうと思う。

そんな事をプライベートから仕事から
24時間365日ずっーーと考えてる
村越は、今日も秋の風を感じた朝に幸せを感じ

6:00から子どもとUNOを何度も戦い、何故か全て負け…。笑

今日も自己成長させて頂ける最高の職場があり、そして帰る家もあり
幸せに生きております。

私の思考の整理は出来ました。
困ったら【手段と目的】に立ち返りましょう。
何度も何度も立ち返りましょう。
今日も小さな幸せを大切に生きましょう。
以上です。

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