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「農法選択の自由」を勝ち取った「りんご無農薬裁判」を語るPart.4
札幌弁護士会所属 村松法律事務所 所長 弁護士 村松弘康です。
昨年12月、北海道札幌市にある弊所事務所で収録した元・被告で、現在、北海道仁木町で自然栽培農業を実践し続けている、江本達雄さんとの対談Part4です。
前回までの内容は、以下をご参照ください。
弁護士になりたてで携わった、北海道クロム訴訟(1977年)①~ 13年7ヶ月に及ぶ裁判が始まる
札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。
弁護士としての第一歩は、いきなり現場に投げ込まれて始まりました。
実は、クロム訴訟原告団が結成された1977年(昭和52年)4月、札幌弁護士会に入会しました。何もわからないまま、というよりも弁護団の森越清彦弁護士に誘われるまま、車に乗せられて栗山町(北海道)通いとなったのです。
栗山町に日本電工株式会社の工場があった町で、原告の方
私たちの問題提起がきっかけで、スタッドレス義務化の立法化に至る〜冬道では欠かせないスタッドレスタイヤが日本で普及するきっかけ④
札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。
前回の続きです。
日本でスパイクタイヤが販売されてから25年目、車粉公害が問題にされた1982年(昭和57年)から5年。異例のスピードで、スパイクタイヤ問題は解決しました。
調停成立後の同年7月16日、日比谷公園松本楼において、日弁連公害対策委員会・公害調停申立人弁護士と環境庁長官との懇談会が開催されました。
席上で、当時の環境
“当たり前”を覆していく市民の声から広がった社会運動 〜冬道では欠かせないスタッドレスタイヤが日本で普及するきっかけ③
札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。
前回の続きです。
味方は1%しかいない。99%を敵に回しても勝ち目はない。戦わずして勝つ戦法とは…。
私たちは、戦わずして勝つ方法を真剣に模索し続けました。
そして、あることに気づいたのです。まずは、市民を味方につけることから始めていこうと。そして、行政、警察、タイヤメーカーを敵ではなく将来の味方として位置づけ、対話を呼びかけ粘
冬道では欠かせないスタッドレスタイヤが日本で普及するきっかけ①
札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。
冬道で欠かせないスタッドレスタイヤ普及のきっかけとなる事件にも、運命的に携わってきました。
思い返せば、1982年(昭和58年)の春のことです。当時の札幌の街は、“黒い雪”で覆われていました。
裁判所の前に立って、東に目を向けても粉じんでテレビ塔が見えない日がよくあり、春の札幌の街は、アスファルト粉末(車粉と呼ばれていた)の黒い霧