相方の実家に相方いないけど行った話
昨年の12月31日から1月2日にかけて、房総にある相方の実家に行ってきた。相方は18日から海外に行っており、まあ相方の両親に預かってもらっている子どもらの顔を見に行ったのと、元旦が誕生日なので子どもらに祝ってもらおうと思い行ってきた。
相方がいないなかで相方の実家に行くなんて、まあ以前では考えられなかった。あそもそも相方の実家に行くの嫌だったし。以前は相方の実家に行くことはぼくにとって「修行」だった。実際、痛風発作になることもあった(単にいいものを食べたからかもしれないけど)。ではいったい何が変わったのだろう。
ひとつはぼく自身が、相方の両親、特に彼を「ありのまま」で見ることができるようになったからだと思う。彼はビジネスの成功者で、ぼくよりひと回り大きくて、いつも仏頂面で強面なひとだ。
以前は、相方の父に対してぼくは畏怖の念を抱き、ほとんど目を合わせることなく、「彼はぼくのことを嫌っているし怒っているに違いない、ひとりの人間として認めていないんだ」といわば妄想を膨らませていた。まあぼくのなかでは「恐怖の大王」だったわけですよ。彼がどう思っているかなんて実際はわからないのにね。
プロセスワークを学ぶなかで、自分には緊張すると、外界から閉じてしまい他者に対して「夢を見てしまう(=妄想してしまう)」というパターンがあることに体験的に気づいた。そういう時は、ほとんど他者の目を見ていない時だった。このことは相方の父に対しても言えることだった。
そこでここ数年、彼と目を合わせて関わることを心がけてきた。彼に対するぼくの妄想から抜けだし彼をあるがままに見ていくためだった。自分の中ではかなりチャレンジだった。彼は普通に強面なので、目を合わせること自体が恐怖だった。だけどちょっとずつちょっとず〜つ、目を合わせて言葉を交わすようにしていった。
だけどある時、相方の実家から帰るときに
「それじゃあ帰りますね。お世話になりました」
と彼に伝えた時に彼は・・・
「はいはい、気をつけて」
と彼はテレビを観ながらぼくに聞こえるか聞こえないかくらいの声でボソッと言ってくれた。
すごく嬉しかったと思ったと同時に・・・
「あれ?この人はただシャイなだけなのではないか?」
と思った。実際ぼくに対して彼はほとんど目を合わせないし。
彼もまたぼくとの関係性に難しさを感じているのだということがわかった。
そこからだろうか。かつては「恐怖の大王」だった彼に対する恐れがだんだんと薄れていき、等身大の彼が見えるようになってきたように思う。
と同時に、相方の実家にいてもリラックスして過ごせるようになってきた。
そんなわけで今回も楽しく過ごすことができました。いい酒飲ませてもらったしうまい飯もご馳走になったしね♪