歩く瞑想をしてるときに気づいたことはファシリテーションにも言えるよね、という話し
こんにちは。
以前の投稿を読んでいただいている方はご存知かと思いますが、以前はもっぱらOSHOダイナミック瞑想をしていたのですが、最近はOSHOヴィパッサナー瞑想をしています。
内容は
・第1ステージ(45分間)
座って呼吸を眺めてる
・第2ステージ(15分間)
歩く瞑想をする
です。
うまく歩けない
歩く瞑想では足裏に意識を向けて普段の半分のスピードで歩きます。
第1ステージの呼吸もそうなんですが、普段は無自覚にしていることを気づきを保ちながらゆっくり歩くことってぼくにとってとても難しいものでした。ぼくは何度も何度もよろめいたりして「あーなんでこんなに歩くの下手くそなの⁉️」てキーキーしてました。
でも回を重ねるごとになんでこんなにバランスを崩すのかがようやくわかってきました。
エゴが働くとただ眺めていることができない
それは…
普段無自覚で自然に任せていること(ここでは歩くこと)に意識を向けることで、エゴが作動し、歩くことをただ眺めていることができずにコントロールしようとして、結果歩くのがとても不自然でぎこちなくなっていた。
つまり、歩くことに意識を向けた途端に
「ちゃんとまっすぐ歩こう」
「美しい姿勢で歩こう」
「ムダな動きをしないで歩こう」
という余計なエゴが働き、結果として身体が緊張しバランスを崩してたんです。
このことに気づいたことで、その後はコントロールを徐々に手放し、ある程度うまく歩くことができるようになりました。
やったね♪
と思ってたんですがね…
今朝改めて気づいたことがありました。
わかったつもりがまだコントロールしてた(汗)
それは…
なんかまだ腕がぎこちないのです。
まっすぐ下に降りていて動いてなかったんです。下半身の緊張には気づき手放せたのですが、まだ上半身はコントロールされていて緊張していたんです。
それに今朝ようやく気づいて
改めて腕のコントロールを緩め
身体に動きを任せてみると…
腕はごく自然に前後に揺れました。
なんとまあバランスのよい歩行になりました。
これはファシリテーションにも言える
そう、自然に任せりゃあいいんですよね。
これはファシリテーションにも言えると思いました。
「なにか気の利いたこと言おう」
「うまくこの場を仕切ろう」
「かっこよくスマートなファシリテーションしよう」
な〜んてファシリテーターが思うと、途端に身体は緊張しムダな力が入り、それが場にも伝わり場全体も緊張し、出るはずの声すら引っ込んでしまう。
ファシリテーターが自然とリラックスして自分らしくその場にいさえすれば、場全体もリラックスし、自然と多様な声が出て来やすくなる。集団のプロセスがスムーズに流れていく。
しっかりとリラックスして場に臨めるよう、これからも瞑想を続けていきたいと思います。