哲学対話を続ける理由
哲学対話を2024年3月から継続して開催している。現時点で、私が哲学対話を続けたいと思っている理由を記録しておこうと思う。理由をあげればキリがないのだけど、その中から3つに絞ってここに記しておく。
①価値観の問い直しができる
哲学対話では、自分の価値観の問い直しをすることができる。これは、無意識の当たり前(自明性)を問い直す作業でもある。自分の価値観は他者との対比によって初めて輪郭が見えてくるため、一人では気づきにくい。哲学対話の場では、互いの「当たり前」を差し出し合うことで、自分がなぜそう考えているのかを問い始めることができる。それによって思考の幅が広がり、他者との関わり方も柔らかくなっていく。
②自分の問いが相手に受け止められる
問いを問いとして受け止められる場というものは、実はあまり存在しない。
問いが受け止められるということは、自分自身が受け止められるということであると思う。問いが受け止められると、自己原因性感覚が得られる。自分自身が周囲の他者に影響を与えられるという感覚は、主体性を育む上でとても重要なことだ。
③他者との信頼関係が形成できる
哲学対話を共にした相手とは、一段深い信頼関係を気付けるという感覚がある。それは、互いの当たり前とその理由を共有した経験(①の理由)や、互いに問いを受け止めあったことの経験(②の理由)によるものだと思う。これはやればやるほど強化される。信頼関係を深めたいコミュニティで有効だと思う。例えば、職場のチームビルディングなんかにも有効なはずだ。
この3つが私が感じている哲学対話の魅力であり、続けている理由だ。自分のためになり、他者のためになり、社会のためになる。自分と他者と社会の価値観を問い直すことで、世界はもっと柔らかくなると思う。その柔らかさは、異なる意見や価値観を受け止められる余白のようなものかもしれない。
(ちなみに)
私が実践している哲学対話は、真理を探究するタイプ(わかることを目指す)というよりは、コミュニティ形成重視の対話(わからないことを増やす)であることを注記しておく。「わからないことを増やす」というのは、一見確かだと思っていた自分の考えが揺らぐ経験を通じて、参加者同士の理解が深まっていくということだ。とはいえ、「ひとそれぞれだね」で終わらないように、互いの同じ部分と違う部分を探り、新たな言葉を紡いでいけるような場を目指している。