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息子が生きる未来のために #未来のためにできること

「未来」この言葉を目にすれば、必ず息子が頭に浮かぶ。
子どもを産んでからというもの、未来を思うときには必ずそこに息子がいる。
たとえば10年後、私が45歳なら息子は17歳。高校生か…。自分の年齢よりも、息子の成長にばかり気が向いてしまう。
この10年、私の身長は伸びないし、歳をとるにつれて老化だの健康だの気を配らないといけない。
一方、息子のこれからの10年は植物がぐんぐん伸びるように、たくましくまぶしい。

20年、30年、もっと先の未来、当たり前なのだけれど年を重ねるだけ、息子も青年になり壮年になり、おじさんと呼ばれたり、おじいさんになったりする。
息子が何歳になるときまで自分は生きていられるのだろうか。
60歳の息子に会えたら最高だな。そのとき私は88歳。

子の未来を想像し、どうか幸せであれと願う。
自分だけが子を幸せにできるわけもなくて、この先、すべての不幸から守ってあげることもできない。それはわかっているのだけれど。

息子の未来を思い、彼が生きるその世界がどうか平和であれ、と祈る。
気候変動、世界情勢、日本という国の変化…。
自分ひとりではどうにもならないことだとしてと、子どものために諦めることはできない。
息子だけでなく、未来を生きる今の子どもたちを取り巻く環境がどうかよりよいものであるように。
そんな願いがSDGsには込められていると思う。
SDGsは教育にも取り入れられていて、子どものほうが詳しいのではないかと思うほど。
子どもに責任を負わせるのではなく、大人こそ行動を起こしたい。

日本だけではなく、世界中の子どもたちが大人になったときを想像する。
綺麗事ばかりとはいかなくても、あの頃はよかった、ではなくて、今がいいよね、未来はもっといいよねと思える世界。
そこに自分がいなくとも、美しい未来に自分は砂つぶほどでも力を添えられたのだと、そう思って人生に幕を閉じられたらいい。

選択することと、声をあげ続けること。
何が地球にとって、子どもが生きる未来にとってよりよいのか、考えて選ぶ。賛同する。
小さくても声をあげる。それはこうして文章を書くこともそう。
人ひとりの力は弱くても、子を想う気持ちは何にも勝る。
一人でもいい、どこかの誰かがそんな気持ちに共感をして、その人がまた何か小さな行動を起こして、小さな声が大きくなる。人の意識が変わっていく。
そう信じること。
それが私にできること。

#未来のためにできること

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