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隠者の雅(みやび) 天龍道人(真贋不明)「葡萄鼠図」鑑賞 【週末隠者】

 D市の私の庵には床の間のある一室があります。別に床の間にこだわって家を探したわけではないものの、あるものはやはり有効に活用したいので、それを機会にリサイクルショップやネットオークションで床の間に飾る美術品、特に掛け軸を物色するようになりました。
 もっとも、リサイクルショップは掛け軸の出物自体が少ない上、その出物も大量生産の印刷ものの場合が多く、最近ではほぼ全てネットオークションを通じての入手となっています。とはいえ高名な作者の作品に大枚をはたくほどの金も熱意もないため、もっぱら無名画家の作品で良さそうな絵(ただし印刷ものではなく実際に人が手で描いた作品に限ります)をだいたい千円から五千円くらいまでの間で落札し、季節や気分に合わせて掛け替えては眺めて悦に入る程度です(注1)。
 そういう絵ばかりですから作者名すら不明の作品も多く、作者名が分かる場合も、ネットで検索しても情報が出てこない場合が大半です。そんな中、少し前に手に入れた作品に興味深いものがありましたので、この場を借りて紹介させていただきます。

注1:普段暮らしている自宅に持ち帰って飾る場合もあります。そちらは床の間がないため、タペストリーのように壁にぶら下げています。

【写真1】天龍道人「葡萄鼠図」

 作者の名前は「天龍道人てんりゅうどうじん」、絵の題は「葡萄ぶどう鼠図」、葡萄の蔓に鼠が登っているという、少々珍しいモチーフの作品です【写真1】。もともと作者については何も知らず、単に絵が気に入って買ったのですが、後から調べてみるとそれなりに有名らしく美術関係のサイトにも紹介があり、なおかつ相当に波乱に満ちた生涯を送った人物のようです。
 天龍道人は1718年に肥前の唐津で生まれ、佐賀鍋島家の分家である唐津藩の家老・板部堅忠かたただの子として育ちました。本名はなぜかはっきりしないようで、生涯に「龍造寺主膳」「成瀬翁」「王瑾おうきん」「渋川虚庵」などさまざまな名を名乗り、「天龍道人」は晩年になってからのペンネームとのことです。実は唐津藩主の隠し子という話もあり、実際に10代前半の頃に藩主の跡継ぎとして擁立されかけたものの、結局藩主にはなれず、育った板部家も彼が14歳の時に改易となって一家は離散します。その後、師について絵や医学を学んだり仏門に入ったりするうち、やがて当時の京都で勤王・反幕府運動に身を投じ、1758年の「宝暦事件」や1767年(明治維新のほぼ100年前)の「明和事件」にも加わって幕府の弾圧を受けることになります。主立った同志たちが次々に逮捕されて処刑されたり獄死したりする中、彼は逃れて信州(長野県)に落ち延び、諏訪・高島藩の領内にかくまわれます。その後は諏訪で隠遁生活を続けながら絵や詩作といった芸術に生きる日々を送り、1810年に数え年93歳で没しました。
 とまあ、そのような情報を調べるうち、驚いたことに、とある美術品の相場サイトで、この作品の出品情報と併せてネットオークションで私自身が競り落とした日時から利用したサイトから決算方法までが載っているのを発見しました。もし私がオークションサイトで、なぜかときどき「おすすめ」に並ぶ江戸時代の春画や大正期のエロ写真集あたりをうっかり落札しようものなら、その情報もネットのどこかに晒されてしまうのでしょうか。油断も隙もありません。
 相場サイトでは落札価格の部分にぼかしが入っていて会員登録をしないと分からないようになっていましたが、私の記憶では、確か四千何百円か(プラス送料)での落札でした。もったいぶって隠すような金額でもないと思います。もっとも、それだけ知られた画家の真作がはたしてネットで数千円で買えるものかは疑問で、あるいは後世の模写や贋作なのかもしれません(鑑定書のようなものもありません)。以下、あくまで真贋については不明という扱いで、この作品を鑑賞していくことにします。

【写真2】

 絵の部分を拡大したもの【写真2】。

【写真3】
【写真4】

 葡萄の葉と実【写真3】、蔓【写真4】。天龍道人は特に葡萄を題材にした絵を好み、晩年は「葡萄和尚」とも号したそうです。

【写真5】鼠の部分

 この絵の最大の特徴である鼠の部分【写真5】。何やら漫画チックに可愛くデフォルメされているものの、よく見るとヒゲも毛並みも指先もけっこう丁寧に表現されています。ただ、顔はネズミっぽいのにしっぽが明らかにネズミではないあたり、もしかすると栗鼠りすのつもりで描いたのかもしれません。

【写真6】落款

 落款らっかん(作者の署名と印)【写真6】。ただしこれが真作のあかしになるのか私には判りません。草書で読みにくいものの、どうやら七十七歳時の作品と書かれているようで(違っていたらごめんなさい)、真作なら1794年前後の作品ということになります。本当に200年以上前の作品だとすれば、保存状態は比較的良好と言って良いでしょう。
 もっとも、この掛け軸が天龍道人の真作なのかどうかは、私自身は実はさほど気にかけていません。たとえ真作ではなかったとしても、鼠は可愛いし葡萄の蔓や葉を描いたタッチも個人的に気に入っています。以前別の記事で触れた、ピカソが色紙にフェルトペンでざっと描いただけのカリカチュアに何百万円も出すより(そういう作品にカネを出す人は、おそらく美術品に「美」や「楽しみ」よりも「資産価値」や「ピカソ作品の持ち主」というステータスを求めているのでしょう)、手頃な価格で手に入れた無名画家の力作を身近に置いて日々眺めながら心楽しむ方が、少なくとも隠者には相応しいように思います。
 そして、もしこの絵が天龍道人の真作ならば、前出のように波乱に満ちた人生を送ってきた人物が老境に至っていったいどのような心境でこんなユーモラスで可愛らしい絵を描いたのか、それに思いを馳せるのもまた、同じく隠者として余生を過ごすことを志す者のたのしみだと思うのです。


参考文献・サイト
・朝尾直弘・宇野俊一・田中琢 編『新版 角川日本史事典』角川書店
・UAG美術家研究所(2024年7月16日閲覧)

・「お帰りなさい天龍道人 展 ギャラリートーク」(1)(2024年7月16日閲覧)

https://kashima-able.com/files/uploads/H26.04.13.天龍道人1.松尾和義GT.pdf

・「お帰りなさい天龍道人 展 ギャラリートーク」(2)(2024年7月16日閲覧)

https://kashima-able.com/files/uploads/H26.04.13.天龍道人2.福井尚寿GT.pdf

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