長男の留年と兄弟それぞれ
留年が決まって随分と落ち込んでいる長男だった
前回の書かせていただいた内容の補足として
私には友人は少ない、その少ない友人にSさんMちゃんのY姉妹がいる。自宅近所の美容室を姉妹で経営しているのだ。息子たち三人もずいぶんとお世話になった。
唐突に語りだす三男
そのY姉妹が長男の留年を知ったときの顛末を、このように教えてくれた。
雪の降る日の午後もう店仕舞いをしようかと思っていたら、お店のドアを開けて三男がドア内まで入り「兄ちゃんが大学留年することになったんですけど、それはテストの成績が悪いわけでは無く、卒論のデータが消えたからです」そう唐突に話し出したのだそうだ。
あっけにとられた二人は「あらそうなの、兄ちゃんに気落ちするなって伝えて」と言うと
「はい、それでは失礼しました」と一礼して店から出て行ったと。
いつもはクールな物言いをする三男だったのだが
「兄弟だよね、心配だし何かしないではいられなかったんだよね」やはり三人の女の子の母であるSさんが教えてくれた。
子どもたちの年が近いSさんと私の合言葉は「なんとかなるさ」だ。子どものことをあれこれ話すたびに二人で「なんとかなるからさ」と言い合ってきたのだ。
闇雲に自立しようとする長男に対して次男は
三人の子どもたちをそれぞれ大学に進学させるためには、奨学金と授業料に対して減免の制度や学内奨学金などの制度を使っていた。それらはストレートに四年間で終わるので、一年分の授業料や生活費その他諸々の経費を丸抱えせねばならない。
当時長男はヘルパーの資格を取り、障害を持つ子供たちの学童保育や休日の介助サービルをする事業所でアルバイトをしていた。
「大学の前期を休学して働いて学費を貯める、工事現場の作業員の仕事を探す。ホストだってなんだってやる」と言い出していた。家族に甘えたくはない、長男としてのプライドだったのかもしれない。
それに対して次男がぽつりと「ホストなめんなよ、適性が無ければできない仕事だぞ」と言った。自分自身のコミュニティー能力の低さを学問でカバーしようとしている次男にとって、ホストを生業とする人たちの能力の高さを称賛していたのだ。
方向性としてはとりあえず
まずは生活のリズムを乱さないために、大学は一年間続けること。アルバイトも自分の適性に合った今の仕事を続けるか、その延長線上にある職場をにすることを約束させた。
その後長男は市で運営している小学生の学童保育所の臨時職員として一年間お世話になった。
前出のnoteで書いた、まだ抜けきれていないと感じさせる靄のような陰りも、その年の冬には感じられなくなっていた。
本当に安心できるまで、十年の月日が流れていた。まだ時々親としての不安がよぎることもあるが、どんどんと健康的な表情になっている。睡眠中に見せていた苦し気な表情を、見ることはなくなった。
まだ書き足りない部分もあるけれどは今日はこの辺で
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