全身の知覚を通した複合的な思考体験
『こどもと大人のための ミュージアム思考』を読んでいたら、
ミュージアムでの体験は特に視覚が優先されると考えられがちですが、実は全身の知覚を通した複合的な思考体験です。
と書いてあって、痛いほど膝をたたいた。
鏑木清方展にいったとき、「築地明石町」を観て、その絵の前で動けなくなった。
展示会のチラシで「築地明石町」の顔を見て、
なんてキレイなんだろう、この絵が見たい!
と思ってその企画展をやってる国立近代美術館にいって、
入り口からざーっとザッピングして、
その絵の前に出来ている人溜まりが少し動いて、
わたしの目のまでが開けて「築地明石町」が、ズン、と現れた。
その絵を見てキレイだと感じている主観と、
なんでか手繰り寄せている経験とか記憶とか、
もちろん絵は明治期を描いていて、わたしのは昭和の様子なんだけど、
主観と経験と記憶と思考が行ったり来たり。
まさに「全身の知覚を通した複合的な思考体験」だった。
田植えも、全身での思考体験、といえるんじゃないか。
田んぼに入ったときのヒンヤリとした感覚、
ぬるっとした感覚、指先に伝わる泥の感触、
臭ってくる泥の匂い、苗の青臭い匂い、
風が皮膚をさする感覚、やがてじんわりと襲ってくる疲労感。
アタマのなかでいろんなことを考えているし、
ときとしてなんにも考えない無の時間もある。
隣の人との会話もあるし、何人かで笑い合うこともある。
まさに田植えは、「全身の知覚を通した複合的な思考体験」だ。
(前回は、「田植えはアンラーニングだ!」っていったけど……)
『こどもと大人のための ミュージアム思考』稲庭彩和子編著 伊藤達矢、河野佑美、鈴木智香子、渡邊祐子著 左右社 2022年