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昨日の高校野球、母校の海星高校が勝った。

県予選もろくに注目してなかったくせに、
しかも直前までどこと対戦するかも知らなかったのに、
ラジオで試合を聞きながら、
同級生たちとLINEグループで雑談しながら、
仕事にならん、とぼやき続けて、
とうとう試合に勝ったら、
ニワカ愛校心がむくむくと湧き上がってくるのを抑えられなかった。

長崎は、今日で77年目になる。
原爆投下の祈念の前日に、
母校が勝ってくれたことを、誇らしく思ったりもする。

わたしが高校生のとき、被爆者手帳を持った先生が何人もいた。
親が被爆者、という生徒もいた。
そのころ1980年代、まだまだ原爆や戦争は生々しさがあった。

ウクライナとロシアのドンパチが続き、
イスラエルとパレスチナもやられたらやり返しでロケット弾をぶっ放し、
中国は台湾の周りで実弾を使っての大規模な演習を実施した。

アメリカやEUは、冬のエネルギー不足を真剣に考えないといけないし、
食料の値上がりも深刻になってきている。

これに対して、国連はなんの実効性のある対策を打てず、
機能不全を起こしている。

国連は、日本語でこそ国際連合とかいって立派な国際機関のように思えるが、
英語では<United Nations>、中国語でも<連合国>、
つまり先の大戦の戦勝国がその名称そのまんま使っているわけで、
その戦勝国たちが内部でごたごたしている、っていうことでもある。

っていうことでもあるんだけど、
なにかの前触れのような気持ちが強くなってきた。

敗戦国日本にはどんな役割があるのか。
祈りを捧げる日に、真面目に考える。