みんなで走った。みんなで描いた。
2冊の絵本がある。
『はしれ、上へ!』と『あしたがすき』。
2冊とも東日本大震災の発災時と復興期の岩手県釜石市が舞台。
『はしれ、上へ!』
おじいさんが孫に、海の美しさ、豊かさを語る。
そして、
「つなみてんでんこ」
津波は必ず来る。そのときは自分で自分の命を守れ。
という、その土地の言い伝えも教える。
2011年3月11日、鵜住居小学校。
大きな揺れのあと、みんなが逃げる場面から始まる。
同じ敷地にある釜石東中学校の生徒が逃げ始め、
それを見た小学生たちも駆け出す。
目指すは、避難場所として指定されている場所。
その場にたどり着くけど、
「これって避難訓練じゃないよね」
現実はまだ受け入れられないでいる。
背後の山の斜面が崩れ始めている。
もっと上に逃げなきゃ。
もっと上に、もっと上に。
子どもたちが大人たちを促して、坂道を駆け上がる。
みんなで、走った。
怖い怖い怖い思いをしながらも生き抜き、
孫とおじいさんは、海辺へもどってきた。
『あしたがすき』
津波で家が流され、山の方に引っ越してきたサキ。
海の近くの鵜住居小学校に通っていた。
コスモス畑のそばのレストラン。
営む老夫婦は、自慢のコスモス畑をつぶして、
子どもたちの遊び場「こすもす公園」をつくった。
サキはこすもす公園が大好き。
だけどある雨の日、こすもす公園のとなりの工場の壁が、
黒い黒い黒い黒い津波がおそってくるように感じた。
怖くなって、もう公園にはいけなくなった。
それを知った老夫婦は、工場の壁一面に絵を描こう、と思った。
いろんな人たちに相談して周り、
工場の社長にも事情を説明して、了解を得た。
足場を組んで、絵かきのお姉さんとこすもす公園の人たちが絵を描き始めた。
お姉さんは、子どもたちにも参加して欲しい、といった。
みんなで、描いた。
大きな太陽が微笑んでいて、こすもすが咲いて、
鳥がたくさん飛んでいる大きな絵ができあがった。
「希望の壁画」
と名付けられた。
希望の壁画があるこすもす公園には、
金属やプラスティックでつくられた遊具はない。
木や石、土、ほとんどすべて自然のものでつくられている。
近所の子どもたちだけではなく、
遠くの幼稚園からも、遊びに来るようになった。
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津波でボロボロになった鵜住居小学校と釜石東中学校は高台に移築され、
跡地にはラグビーのスタジアムができた。
日本中から、世界中から人びとが集まってきて、
ワールドカップラグビーの、すごいゲームを楽しんだ。
世界のラグビー関係者が、ここを「ラグビーの聖地」のひとつと認め、
釜石の人たちの希望がまたひとつ、かなった。
釜石の「海の物語」の絵本と、「山の物語」の絵本。
あと2ヶ月で、被災から10年になる。
『はしれ、上へ!』 指田和・文 伊藤秀男・絵 ポプラ社 2013年
『あしたがすき』 指田和・文 阿部恭子・絵 ポプラ社 2016年